259 日吉神社の祭神 大山咋の神紋をご存知ですか? “飯塚市庄内町筒野の日吉神社から”
201511104
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
今年の秋は上天気が続いています。
当然、フィールド・ワークの回数が増えてしまいますが、そうした中、時間調整の必要から豊の国古代史研究会のN氏と筑豊でもほとんど人が入らない庄内町(合併により現飯塚市)筒野の日吉神社を見に行きました。
ここは、飯塚市、田川市、旧山田市の間に挟まれた比較的平坦な盆地が広がっているところです。
社殿は直ぐに見つかりました。
一般的に、大山祗(ツミ)命と大山咋(クイ)命を混同していたり、親子神のように理解されている方も散見されるのですが、世代も系統も異なる神様です。
旧山田市のとなり町でもあることから、この一帯には非常に多くの日吉神社が鎮座しています。
この日吉神社の神様こそ大山咋命であり、お妃のヤタガラスの娘である鴨玉依姫と間に産まれた人物こそ、藤原によって格上げされた第10代贈)崇神天皇となるのです。
北部九州では、ほとんど見掛けませんが、明瞭な二葉葵の神紋です。
この日吉神社の祭神が大山咋命であることは間違いありません。
日吉神社、日枝神社、山王神社、松尾神社、佐田神社(断じて猿田彦ではありえない)は全てこの海幸彦(草部吉見)と市杵島姫との間に産まれた大山咋命(実は阿蘇国造神社の主祭神 速瓶玉命=ハヤミカタマ)なのです。
次の二葉葵、立ち葵系統図(百嶋由一郎氏作成)をご覧ください。
ここで、少しこの葵の神紋について書くことにします。
崇神天皇、豊玉彦の神紋は微妙に違いますが、普通は間違えそうなレベルです。
当然、大山咋命とははっきり異なりますので区別は着くと思います。
では、冒頭に掲載した庄内町筒野の地図をご覧ください、鴨生地区、下鴨生という地名が確認できますね、この日吉神社が数多く鎮座する、旧山田市から飯塚市に掛けてのエリアには、崇神天皇、豊玉彦に、つまり、上賀茂神社、下賀茂神社に繋がる氏族が展開していたことが良く分かるのです。
そして、九州王朝論の立場から言わせて頂ければ、そのベクトルは西から東へ向かっている事を思わざるを得ないのです。
勿論、本拠地がここだったと申上げている訳ではありません。
この両族は、古代における大族であり、この他にも数多くの大規模な根拠地を持っていたはずです。
ここでは、地名と古代史族とが関係があると言う事を理解して頂けるだけで良いと思います。
境内から望む筒野地区
最後に、日吉神社の神紋の打たれた石柱を見て下さい。六角形の柱を成していますね。
この事からも色々な事が言えるのですが、この亀甲紋章のルーツは決して出雲の大国主命などではなく博多の櫛田神社の大幡主のシンボル・マークなのです。