263 四国の高良神社調査で発見した二つの永尾(釜蓋)地名 ① 徳島市編
20151114
久留米地名研究会 古川 清久
2015年11月、4泊5日の行程で徳島、高知両県の高良神社5社の調査に出かけました。
これについては、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)181~186 として報告しています。
この高良神社の調査の最中、ここ阿波でも、そして土佐でも「永尾」(釜蓋)地名と考えられるものを発見したのでご報告させていただきます。
徳島市を簡単に表現すれば、四国の大河、吉野川の氾濫原と言うか川原に成立したような都市です。
多くの支流、分流が紀伊半島に向かって吐き出しているような土地です。
当然にも多くの三角州、川中島それに突き出した岬状の土地が造られる事になります。
徳島市の中心部から吉野川を超え、応神町の高良神社を訪問しようと車を走らせていたのですが、飯尾川と表記された小河川を発見し、もしかしたら民俗学者谷川健一が発見した「永尾」(エイノオ)地名と、地形が確認できるのではないかと思い、翌朝、早々に現地を踏む事にしました。
地面からは中々鮮明には見えませんが、地図(グーグル・マップ)を見れば一目瞭然で、円で囲んだ二つの場所が、エイの尾に見立てられる事は明らかでしょう。
問題は、実際にどのように呼ばれているかを確認する必要があり、飯尾川の傍に住んでいる方、複数にお尋ねすると、”「イノカワ」と呼んでいますが「イイノオカワ」が正しいかも知れません”といったお答えを頂きました。
少なくとも、「イイオカワ」ではなく「ノ」が入っている事だけは直ぐに確認できました。
今、お知らせできる事はこれだけです。
ただ、今までも多くの「永尾」(釜蓋)地名を見て来たものからは、その類型である事は間違いないと思うものです。
下の写真は飯尾川の吐き出し部分(○)にできたエイの棘状地であり、ご丁寧にも不必要かつ薄汚いテトラ・ポッドがリアルです。
どう見てもエイの尾に見え、陸にはい上がった巨大なエイがイメージできます
静かに流れる飯尾川(左) 畑が広がる先端○の部分の遠景(右)
本稿で始めて「永尾」(エイノオ)地名を理解された方は、「ひぼろぎ逍遥」のバック・ナンバーを併せてお読み下さい。