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264 四国の高良神社調査で発見した二つの永尾(釜蓋)地名 ② 四万十市の隣町 黒潮町編

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264 四国の高良神社調査で発見した二つの永尾(釜蓋)地名 ② 四万十市の隣町 黒潮町編

20151114

久留米地名研究会 古川 清久


徳島から一転、四国を対角線状に四万十市に向かいました。

意地の張り合いの様に、四万十町と四万十市があるのですが、目的の四万十市は旧土佐中村市のことで、我々将棋ファンにはかつて名人にも挑戦した森 鶏二九段の出身地として印象深い土地でもあります。

さて、四万十市の10キロほど手前に黒潮町があり「井の岬」という奇妙な名の半島があります。

奇妙だと言ったのは、岬状地で井の岬と は、通常は水の得られる停泊地といった印象にはなるのですが(井ノ浦…)、さすがに岬では水は得られないもので、始めは同地に「井ノ岬温泉」もあることか ら井とは温泉=湧水でもあるのかと考えたのです。しかし、剱(ツルギ)神社が置かれている事から、どう考えても、これは民俗学者の谷川健一が提案した「永 尾」地名に間違いないのではないかと思ったのでした。

何故なら、本家本元の熊本県宇城市の永尾神社にも同名の剱(ツルギ)神社が鎮座しているからです。


264-1

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潮が引けばもっと鮮明なエイの尾状の突き出した岩場が確認できると思います。

エイの鰭に見立てられた弧状の砂浜は、港湾整備によってかなり破壊されていますが、ある程度確認できるようです。


264-3


遠い古代(地名が成立する程度の昔)、九州から同じ剱神社を奉祭する一族が移り住んだのでしょう。

勿論、そのベクトルは黒潮によって西から東、南から北へと向かっていたはずです。

こちらも付近で畑仕事をされていた御婦人にお尋ねすると“「イノミサキ」とよんじょります。”とのお答え頂きました。

ここで少し問題があります。

「良い」を「イイ」、「イー」、「ヨイ」、「エイ」、「エー」と色々な呼び方をし、それなりに通用します。

 ただし、穎(エイ)を「エー」とは呼んだとしても、「ヨイ」とも「イー」とも呼びはしません。

しかし、穎(エイ)についても、本来の鮫の仲間のエイの意味が忘れ去られてしまったとしたら、このようにルーズな発音で呼ばれる可能姓はあるのではないでしょうか?

このことが、永尾(エイノオ、エーノオ)地名にバリエーションが生じた理由なのでしょう。

もし、この可能性が正しいならば、「エ」音を中心に見当をつけていた「永尾」地名が、実は、飯、井、伊、居…といった漢字表記で書き留められている可能性を認め、受け入れざるを得なくなってきたのです。

再度、四国全域の海岸線に荒い検索を行ってみました。

徳島県阿南市の蒲生田岬(カマムタ系、)伊島、高知県四万十町の冠崎、愛媛県伊方町の夢永岬、三崎の井ノ浦…と可能姓のありそうなものが見出せました。

地図で見るだけでは全く駄目で、現地を踏み、背後地などを調べて確認すれば、まだまだこのような例に遭遇する事はあると思います。


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剱神社直下の道路脇にはこのような漁労民とは言えないような集落が延びていました。

まだ、剱神社が海に突き出した岬を意味しているという提案に疑問をお持ちの方がおられると思いますが、最後に、剱神社に祀られている摂社(?)の写真を見て頂きましょう。


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突き出した岬(穎)が神体とされていることがお分かりになったのではないでしょうか?


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