extra004 宇佐神宮とは何か? ④ “宇佐神宮宝物館の神輿は誰のものだったのか?”
「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載
20150406
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
宇佐神宮上宮の祭神問題に踏み込む前に、周辺の気になる小さな問題をついて書いていますが、次は神紋について考えて見ましょう。
全国の八幡神の総本山となった宇佐神宮の神紋とは言うまでもなく左三つ巴ですが、宝物館に置かれた宇佐八幡宮の三つ御輿の屋根には高良大社の神紋と同じ木瓜紋が大きく記され、中央の御輿の頂上にだけに天皇や大王のシンボルである鳳凰の飾りが付されているのです。
第4回「八幡文化を訪ねる旅」 宇佐神宮ご神幸祭 より
御輿の発祥の地ともされる宇佐神宮の事ですから、本来、その神輿とは宝物館の三つ神輿の事でしょう。
この「続日本紀」にも記載されている貴重極まりない神輿を見ると、何故か左三つ巴ではなく木瓜紋が打たれているのです。
この宝物館では写真撮影が禁止されているため、正式なルートで撮影させて頂いた写真もありますが、公開を憚り、ここでは、かなり前のある書籍に搭載されていたの写真から撮ったものを出させて頂きます。問題は、何故この三つの神輿の中の中央の神輿だけに鳳凰が載せられ、全ての神輿の屋根には木瓜紋が打たれているのでしょうか?
それは、この神輿、若しくはこの神輿のスタイルが、自ら(贈 応神天皇)のものではなく、引き継いだ(もしくは情勢の変化により獲得した)ものだったからだろうと考えるのです。
ここで、上宮の神殿の配置を考えて見ましょう。
言うまでもなく宇佐神宮の上宮は壁で囲まれていて、通常、一般の観光客が見る事はできません。
神殿の様子は神社関係者やハイクラスの氏子しか入る事ができないことから確認はできないのですが、神社の縁起からは、向かって左から、一の御殿、二の御殿、三の御殿の一社三殿三神の配神を執っています。
勿 論、始めからそのような体制が執られていた訳ではないのですが、この問題は後に廻すとして、一の御殿は八幡大神(応神天皇)、二の御殿は比売大神、三の御 殿は神功皇后としているにも関わらず、神輿の解説では、中央の二の御殿は比売大神としながら、真中に置かれた神輿が応神天皇のものとしているのです。
その筑紫君に庇護されていたとする(宇佐市安心院の三女神社の縁起「ひぼろぎ逍遥」059宇佐市安心院の三女神社は筑紫の君の支配下にあった を参照して下さい)安曇族の一派、宗像三女神を奉祭する宗像族が呉橋を渡るとは考えられない上に、そもそも三女神が二の御殿の御輿とするなら(なぜか一の御殿の神の御輿としている)、三女神が一つの御輿には乗れないからか、それとも、無理やり贈)応神天皇としたいからなのでしょうか。
それとも、八幡神とは応神天皇なのであり、その主神以外の神輿に違いないとの思い込みからでしょうか?
どこの神社でも御輿はその神社の主たる神が乗るための物であり、宗像三女神が木瓜紋を使うという話も聴いたことがない上に、天武天皇の妃(宗像の君徳膳の娘)が宗像から出たことはあるが、天皇などではありえないのにです。
ただ、ここでは直ぐに結論を出さずに、疑問を提出するだけにしておきましょう。