extra005 宇佐神宮とは何か? ⑤ “宇佐神宮の境内摂社「大尾神社」をご存じですか?”
「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載
20150406
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
宇佐神宮を訪れる方は多いと思いますが、境内(境外?)の一角に大尾神社と言う奇妙な摂社、神域があるのをご存じの方は少ないでしょう。私もこの事に気付いたのは五年程まえでした。
国道10号線側の駐車場から上宮を目指すと、黒尾神社が右手にある辺りから本来の参道と同等の幅を持った巨大な参道が何故か東方へと直角に延びているのです。
また、宇佐神宮でも最も大きな謎と言える御許山(山陰、益田、浜田に多い大元神社?)への参道(林道)に置かれているだけに、疑問は深まるばかりです。
まず、額束の無い鳥居というものは見知らぬ人間と同様にそれだけで威圧感のあるものですが、参道から鳥居まで大きい上に、参道としての階段までも長いとなると、得体が知れないことから、まずは、謎の境内摂社との思いを深めた記憶があります。
一度、車を入れて行けるところまで入って見た事があったのですが、完全には舗装されておらず、真新しい砂利にタイヤを取られてカーブで全くハンドルが効かなくなり、必死で撤収した苦い思い出があります。
こ れは、かなり多くの神社を見て来た事から言うのですが、一般的に日本の神社で見られる傾向として、時の流れ、時代の移ろいや情勢の変化と共に、本来の祭神 があるいは除され、あるいは入れ替えられ、あるいは隠されるものの、決して粗末に捨て去られる事は、まず、ありえない(なかった)と思います。
このため、始めのうちは、もしかしたら、ここには九州王朝から近畿大和朝廷への政変によって除かれた本来の神が丁重に(もしくは祟りを恐れて)祀られているのではないか?と考えたのですが、そこにあったものは、正直申上げて抜けがらでした。
見 たものは、奈良の大仏開眼前後に祀られていた八幡大神(応神)が大和から戻ってきた故地を残したものだったと思います。ただ、重要なのは、そうすると、 贈)応神以前の宇佐神宮があった祭礼地であった可能性もあるのかも知れません。現在の亀山の地に移動する前の宇佐神宮についての説があることは承知してい ますが、この地も頭に入れておくべきものなのでしょう。