302 甘木に二つ目のタノカンサーを発見した!
20160310
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
既に、ひぼろぎ逍遥 182、ひぼろぎ逍遥(跡宮)083 「タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)福岡県朝倉市甘木から”」に於いて福岡県甘木市に「田神様」(タノカンサー)が存在している事、それが大幡主(義兄)、大山祇命(義弟)の二神による擬神体であることをお知らせしましたが、フィールド・ワークを続けていると、“犬も歩けば棒に当たるの”云いの通り、それなりの成果は出て来るものです。朝倉市の八幡神社の摂社として田神様が鎮座されている事に気付いたのでした。
勿論、この神社は八幡宮です。それは、縁起からも明らかです。
ただしそれは、宇佐八幡宮の権勢が強まる8世紀以降か、そうでなければ、13世紀以降のはずで、それまでは八幡宮を祀っていたとは思えないのです。このことは摂社を見れば分かります。
そもそも「隈」地名は大幡主の領域を表すものであり、この小隈の集落の人々が奉祭していた神は大幡主であり大山祇命だったはずなのです。では、田神様をご覧ください。
左から 彦狭知命(山幸彦=ニギハヤヒ…)、屋船豊宇気姫命(伊勢外宮豊受大神=辛国息長大姫大目命=天鈿女命…)、屋船久久遅命(金山彦or)、手置帆負命(手力男命=スサノウ…)
問題は、「屋船久久遅命」と「彦狭知命…」とのバランスが悪い事です。組合せがしっくりこないのです。
屋船豊宇気姫命が伊勢の外宮様=豊受大神、手置帆負命=スサノウは良いのでしょう。
一応、提案してはおきますが、これについてはもう少し調べる必要があるようです。
神社考古学研究班のU女史は屋船久久遅命は山幸ではないか?と言われているのですが、どちらにしてもバランスが悪く、もしかしたら神社側が誤っている可能性もあるとまで話が進んでいるのです。
いずれにせよ、平塚川添巨大遺跡の直ぐそばの集落であり、筑後川がどのように氾濫しても浸からない古代においては最良の地なのです。
恐らく、古代においても最初に開発された土地に田神様(大幡主+大山祇命)を祀る集落があったのです。最後にこの一文を書いた後、第三番目の田神神社を発見したのですが、これについては別稿とします。