304 猫宮が新しくなりました! “リニューアルした熊本県荒尾市中一部の「猫大明神」”
20160317
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
ひぼろぎ逍遥 112「猫宮とは何か?」“熊本県荒尾市の猫宮”において猫宮(ねこみや)様、猫社(ねこじゃ)という奇妙な名前の神社があることはご紹介していますが、最近、新たに社殿が造りかえられ、地域と共にお祭りが行われたとお聴きしました。
この神社については、前ブログで書いた通り、第9代開化天皇(ワカヤマトネコヒコ)=高良玉垂命を祀るもの、もしくは離宮があった場所ではないか…との仮説を出させて頂いていました。
それについては、前ブログをお読み頂く事として、こ れについては、最近になりこの神社を以前からお守りされて来られた松尾家(お医者さんをされておられることから、宮司家とお呼びして良いかどうかは分かり ませんが…)の方から当方にご連絡頂き、“この神社の起源についてお教え頂きたい“との依頼をお受けしました。
元よりお尋ねにお答えできる力はないのですが、故)百嶋由一郎先生からお聴きしていた事からお答えできる(と言っても僅かですが)範囲でお答えした次第です。
始めてお読み頂く方もおられるでしょうが、国道501号線で熊本県荒尾市の中心部から島原へのフェリーの発着所がある長洲町方面(中一部)に向かうと、国道に「猫宮」という奇妙な名前のバス停があります。
このバス停から海とは反対方向の住宅地側に二百メートルも入ると右手に真新しい社殿が見えてきます。
猫宮 カーナビ検索 鹿児島本線南荒尾駅から国道501号線を南に数百メートルで猫宮バス停があります。そこから東に二百メートルほど入った住宅街に猫宮があります。
猫社を「猫じゃ」と呼ぶのは江戸の端唄として大流行した「猫じゃ」による影響からでしょうか、この「猫宮」の名が1700年近く伝えられている事には改めて新鮮な感動を覚えるものです。
♪ 猫じゃ猫じゃと おっしゃいますが
猫が 猫が下駄履いて絞りの浴衣で来るものか
*オッチョコチョイノチョイ オッチョコチョイノチョイ*
♪ 蝶々蜻蛉や きりぎりす
山で 山でさえずるのは 松虫 鈴虫 くつわ虫 *くり返し*
♪ 竹に雀は仲良いけれど 切れりゃ
切れりゃ仇の 切れりゃ仇の 餌差し竿 *くり返し*
♪ 下戸じゃ下戸じゃと おっしゃいますが
下戸が 一升樽かついで前後もわからず 飲むものか …
猫宮については、ひぼろぎ逍遥(跡宮)030 猫坂礎石群はワカヤマトネコヒコ(第9代開化天皇)の宮殿か“大野城市” についても併せお読み頂くとして、ここでは、この神社の生い立ちを考えるのに非常に重要な痕跡がある事に気付きました(といっても同行のI女史の指摘によるものですが…)。
それは、宮司からお聴きしていた御神体の石棺を確認できたからです。
これも、石棺があるとの話をお聴きしていた事から、穴掘り考古学に明るいI女史にご同行頂いて分かったのですが、御神体とはまさしく二つの石棺の縄掛け突起だったのです。
九州の事ですから溶結凝灰岩でも、ある程度判断が着く宇土の馬門石ではない様で、色から見て菊池川水系産出の石棺だろうとまでは見当を付けたのですが、それ以上の判断材料が無い事から家型石棺とも舟形石棺とも、どの地域、どの時代の物との特定など程遠く、これ以上の探索はできないところです。
ただ、この祭神(当方の推定はワカヤマトネコヒコ)と全く関係がなかったとは考えられず、どのような思い(情念)でこの縄掛け突起がこの猫宮に祀られたかの経緯には興味が尽きないところです。
神殿参拝殿に無造作に置かれたご神体石
四年ほど前でしたか、百嶋先生にもこの「猫宮」についてお尋ねしたことがありました。
失礼ながらこのようなオチャラケた名前の神社に、そのような大それたお答を頂くとは思っていなかったのですが、先生は十分にご存じだったようで、直ぐにお答え頂だきました。
ノートは取っていませんでしたので、先生が言われたことを、今、思い出せば、「猫宮はワカヤマトネコヒコ=第九代開化天皇を祀る宮ですよ、付近にはもう一つの猫宮もあったが、探せば見つかるはずですよ…」と言われたと思います。
先生の意味をもう少し分かりやすく解説すれば、「古事記」では稚日本根子彦大日日尊(ワカヤマトネコヒ コ)と書く第九代開化天皇を意味し、「猫」は「根子」であり、ヤマトネコヒコクニクル=八代孝元天皇と内宮ウツシコメの第2子とされるもので、実は久留米 の高良大社に祀られる高良玉垂命の本来の祭神こそが俗称(愛称)猫様であり、その離宮がこの地にあったのではないかと言われたものと思うのです。
猫に関わる地名は確かに多く、若宮町(現宮若市)の猫峠、猫塚、阿蘇五峰の根子嶽、八女市黒木町の猫城、 実は、「日本書紀」に登場する「裂田の溝」サクタノウナデ(神功皇后が三韓征伐の際当地にある現人神社の神田を灌漑するため造ったとの記述があり、福岡県 那珂川町安徳台の裂田神社付近に現存している)の付近にも猫城があるようなのです(ここは未確認)。
那珂川町の「削田の溝」は1.5メートルほどの用水路が現存しており、百嶋先生によると、この猫城に開化天皇になる前の若きワカヤマトネコヒコと仲哀の死後に夫婦となる神功皇后の居所があった…と話しておられます(こちらは音声による記録が一部ですが保存しています)。
さらに、最近発見された太宰府市四王子山の猫坂遺跡も恐らく、「高良玉垂宮神秘書」でウガヤフキアエズが三種の神器をワカヤマトネコヒコに返還した場所ではないかと考えています。
また、若宮インターの旧若宮町の若宮も、決して応神天皇や仁徳天皇などではなく、開化天皇になる前の若宮を意味していると思われるのです。
以前の関連ブログ再掲
今後、しばらくは猫宮も安泰となりひとまずは安心しましたが、再建された一族の思いとご努力には改めて敬意を表したいと思います。
当方としては、逆に古文書でも見せて頂き猫宮解明への糸口でも見出せるのではないかと思っていたのですが、現代の社会的諸制度の崩壊に伴い全国で進行する民間伝承、古文書、民俗の大消失に何とかブレーキを掛けなければ…と思い続けているところです。
幸いにしてこの神社は神社庁管理の神社ではありません。
神社庁の庇護は有難いと思われる方は多いと思いますが、実際には多くの規制があり単立神社の方が管理や運営がしやすく、地域の支えと守ろうとする意志さえあればどのような形でも守って行く事は出来るはずです。
一方、当然のことながら猫宮には、別系統の参拝客がいるようです。
勿論、本物の猫ファンによるものですが、彼ら彼女らの浄財を集めることができるならば、定期的に神社を補修する資金を集める事も不可能ではないでしょう。
灯篭の明かりを猫目型にするとか、水木先生の「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する猫娘像を置くとか、交通事故で犠牲になり続けている猫の供養塔を置くとか、猫の 交通安全のお札をネット販売するとか…といった事です。研究会には神官、神職もおられる事から御協力はできるのですが、静かに「猫宮」を守る事もある訳 で、全ては一族のお考え次第という事になりそうです。