305 基山町に木花咲耶姫を探る! “16年3月の太宰府地名研究会トレッキングから”
20160317
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
木花咲耶姫と言えば、櫛稲田姫、吾平津姫と並ぶ列島神話に登場するスター中のスターの一人ですが、基山町にこの女神様を祀る神社があるのです。
確かに此花宮と書かれているようです
事実、大正15年発行の「佐賀縣神社誌要」にも搭載されていない事から、福岡県との県境に近い佐賀県基山町の山奥に、まさかコノハナノサクヤ姫を祀る神社があるとは思いもよりませんでした。
ただ、これも「佐賀縣神社誌要」に搭載されてはいない神社ですが、長崎県との県境そのものといっても良い様な太良町にもコノハナノサクヤ姫を祀る立派な神社があることを知っていることから、当然、有り得る事と思ったものでした。
まず、佐賀県でも現鳥栖市の田代町に大山祇神社があるのですから、娘のコノハナノサクヤ姫を単独で祀る神社があってもおかしくはないのです。
藤津郡でも同様に太良町の多良嶽神社に大山祇命が祀られているのですから、佐賀県の東西で同様の現象が認められるのです。
このことが分かり易い例がありますので地元のサイトからお読みください。
基山(きざん)の西に、標高408mの「契山」という山があります。この契山には、実は基山(きやま)に住む人びとと神さまとの絆の物語が残されているのです。
「天孫ニニギの降臨」として知られる邇邇芸命(ににぎのみこと)様と妻として迎えられる木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)様との結婚にまつわる物語です。
邇邇芸命様は、そう御幸祭りで知られ式内社である荒穂神社の御祭神で、基山の人びとを愛し、基山の人びとに農耕の手ほどきをされたという言い伝えが残されている神様です。このご恩に感謝すべく、あるとき基山の人びとは邇邇芸命様にお嫁さんを探すことにしたのです。
基山(きざん)の西の山々の最初の谷に、山の神である大山祗(大山津見 おおやまづみ)の神様がおられ、その神様のお嬢様に梅や桜の花よ りも美しい木花之佐久夜毘売(木花咲耶姫)様がおられました。そこで基山の人びとは、この木花咲耶姫様をお嫁さんにお迎えしては如何ですかという願いを、 邇邇芸命様に対し、毎日毎日、多くの人びとがしました。その願いを邇邇芸命様は聞き入れます。それを聞いた基山の人びとは大喜びで、木花咲耶姫様の父であ る大山祗様にお願いに行き、ついに聞き届けていただいたのです。
お二人の契りの儀式(結婚式)が行われ、基山の人びとが幾日もお祝いをしたと伝えられる山が、この「契山」なのです。
この契山を挟んで、東には邇邇芸命様をお祀りする荒穂神社が、西の谷、古屋敷には木花咲耶姫様をお祀りする古屋敷の山神社が、さらに西側の柿原には木花咲耶姫様の父であり山の神様である大山祗様をお祀りする柿原の山神社があります。
ただ、百嶋神社考古学の立場からは、荒穂神社の祭神もニニギではなくニギハヤヒ(山幸彦)としますし、コノハナノサクヤ姫もニニギとは直ぐに別れており、 博多の櫛田神社の祭神の大幡主の子であるヤタガラス(後の豊玉彦)の妃となり鹿児島県溝部町(前玉神社)に移動しているとしますので、契山はあるものの、 このあたりに、神代史の最大の隠された部分がありそうなのです。
いずれにせよ、コノハナノサクヤ姫はニニギと別れ、南に移動した(実は本拠地に戻った)様なのです。
それ以降、前玉姫は富士山浅間神社を経由し最後に埼玉県行田市に移るのです(これが前玉→埼玉)。
この辺りの事情については、ひぼろぎ逍遥 067 霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社にコノハナノサクヤヒメを探る ひぼろぎ逍遥(跡宮)023コノハナノサクヤヒメを祀る霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社再訪 他をお読みください。
「古屋敷」という小集落にありますが、ツツジ寺として知られる大興神社からしばらく進んで下さい
そもそも、大国主もコノハナノサクヤヒメも越智族の大山祇と白族の埴安姫(大幡主の妹)の間に生まれており、実力者の高木大神の子であるニニギが気に入らず、母方の従兄であるヤタガラス(ニニギと別れた後の豊玉彦)と一緒になったようです。
こう言うと、現地の方には申し訳ないのですが、美化された「契山」の話も色褪せたもの、後代のフレームアップにさえ思えてくるのです。