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306 朝来地名とは何か? 

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306 朝来地名とは何か? 

20160317

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


現在、個人的に最も関心を持っているものに「朝倉」地名と「益城」地名の北への展開というテーマがあります。

306-1 元々、故)百嶋由一郎先生からは、“熊本市の南の益城(マシキ)町の「益城」は本来「ウマシキ」と読むべきで、福岡県朝倉市=旧甘木市の甘木(アマギ)と同一の地名であり、この地域の人々の北への移動と関係があります。”といった趣旨の話をお聴きしていました。

 その後「邪馬台国と狗奴国と鉄」を公刊した菊池秀夫氏と接触を持つ機会を得て、菊池地名研究会の中原 英(ヒデシ)先生と共に、同氏を益城町の朝来山(チョウライサン、アサゴヤマ)に案内したことがありました。

 菊池氏は“朝来山が古くはアサクナ山と呼ばれていた”とし、以て「狗奴国」との関連を模索しておられたのでした。

 同氏は「全国邪馬台国連絡協議会」なる組織を以て、活動中ですが、九州王朝論の立場からは、安本○○を担ぐ組織とは一線を画したいとの声が多い事から、会としては積極的には関与していないところでした。

 ただ、朝来山に注目された点は関心を持っており、この朝来(アサゴ)地名の北上が、筑後川北岸(右岸)の朝倉(アサクラ)市=旧朝倉町への地名移動と考えているところです。

 そして、さらにこの朝倉地名は、中国地方の日本海側、四国、北陸へと展開を見せているのです。


 山口県山口市朝倉町

 島根県鹿足郡吉賀町朝倉

 島根県益田市美都町朝倉

 島根県大田市朝山町朝倉

 島根県出雲市大津朝倉

 兵庫県養父市八鹿町朝倉(舞鶴の朝倉氏の故地とされている)

 兵庫県朝来市(天空の城の朝来山で有名)

 京都府京都市中京区朝倉町

 京都府舞鶴市朝来

 福井県舞鶴市(地名としては確認できないが、敦賀の金ケ崎城の戦国大名の朝倉氏は著名)

 秋田県横手市朝倉町

以下瀬戸内海側

 愛媛県今治市朝倉

 香川県木田郡三木町朝倉

 徳島県朝倉(土讃線)

 高知県高知市朝倉

 和歌山県西牟婁郡上富田町朝来(JR紀勢線朝来あっそ駅は知られている)

 奈良県桜井市朝倉(旧朝倉村は合併地名ですが何らかの背景が・・・)

 滋賀県米原市下丹生朝倉

 岐阜県関市朝倉町

 愛知県知多市朝倉町

21 千葉県山武郡芝山町朝倉

22 群馬県前橋市朝倉町


 恐らくこの朝来地名、朝倉地名を残した氏族(民族)は物部氏と関係があると思うのですが、織田徳川連合軍と死闘を演じた浅井、朝倉の朝倉氏が、物部から武士(モノノフ=物部)として蘇った人々に思えるのです。

では、朝倉、朝来の震源地は熊本市の南の益城(マシキ)で良いのでしょうか?

 結論に急ぐ前に、ある神社の縁起をお読み頂きたいのです。


由緒

 当社は古くは日能若宮又は石貫大明神と称し、創建は天平五年(733)と伝える。社地は創建時の記録『日能若宮元元由来記』によれば、「大山祇命」(中略)阿佐久良山[木患]木 原五百世山元筑波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺跡と伝える。往時は、社殿、境内、宏壮森厳で、真に筑波御殿の名に背かざるもので あった。弘治二年(1556)六月の『古帳神社知行目録』によれば、神田十二町一反歩を有し、応永二十四年(1417)社殿改修に当たり神饌田が加増さ れ、以来応永二十五年、二十六年、二十七年、永享二年(1430)等、幾度に渡り神饌田の増加の記録が現存する。しかし天正十五年(1587)豊臣秀吉、 島津出兵の際、羽柴秀長、兵を率いて都於郡に陣営した時、当時の石貫神社の祠官が軍令に従わなかった事によって社地は没収された。

 石貫神社の名は、大山祇命の娘の木花咲耶媛を嫁にほしいと云って来た鬼に、一夜で石造の館を造ればと命じた。鬼は夜明けまでに造ったが、大山祇命は窟の石一個を抜き取り、東の谷に投げ、未完成とした。これで鬼の要求をはねつけたと云うことによると伝わる。


306-2

石貫神社 カーナビ検索
宮崎県西都市三宅4615ロ石貫神社


以下はHP「神奈備」より



306-4鳥 居の西側に西都原古墳群へ行く広く高い石段がある。これを登って直進すると、女狭穂塚古墳・男狭穂塚古墳に行き当たる。木々が密集して生えているので、全 体像はつかみにくい。尚、女狭穂塚古墳は中百舌鳥古墳群の石津丘古墳(履中陵と呼ばれるがどうやら仁徳陵だろう)のきちんと半分にした相似形であり、河内 王権との密接な繋がりが窺われる。男狭穂塚古墳は誉田別古墳(応神陵とされる)の1/2の縮尺。即ち日向の諸県牛とその娘の髪長媛の墳墓ではないかと考えられる。


肝心の部分が欠字になっている様なのですが、大山祇命、木花咲耶姫を祀る神社として知られる西都市の石貫神社(熊本県玉名市にも「石貫」地名がありますね、恐らく西都市の「石貫」地名と関係しているものと思われるのです)の由緒に阿佐久良山が登場するのです。“玉名=土車の里に石貫が…”

この神社の成立は古く、大山祇命、大国主命に関係する神社なのですが、この阿佐久良山地名こそ朝倉、朝来地名のルーツに思えるのです(調査中)。

事実、この神社には大山祇命の墓への案内板までもが置かれているのです。


 宮崎県宮崎市金崎914 朝倉寺(曹洞宗)福岡県朝倉市にも朝暗(チョウアン)寺がありますね

これは敦賀の金崎城の金崎に繋がるものと思われます。

 鹿児島県鹿屋市輝北町諏訪原朝倉

 大分県豊後大野市朝地町朝地朝倉


百嶋神社考古学では狗奴国の乱後の戦後処理として各民族の配置換えが行われ、各々、①愛媛県(伊予)は大三島に大山祇命が祀られているように大山祇命系氏族(トルコ系匈奴)に、②大山祇命と埴安姫(博多の櫛田神社の主神である大幡主の妹)との間に生ま れた大国主命(各々の混血)を大幡主(白族)の傘下で島根県(出雲)に、③大幡主の子であるヤタガラス(白族)=豊玉彦を香川(讃岐)徳島(阿波)和歌山 (紀州)に移動させているとします。

この移動の反映こそ「朝倉」地名の移動と関係があるのではないかと考えているところです。

では、もう一つの地名「益城」(ウマシキ)も展開が認められるのでしょうか?

事実、益城町の隣町の嘉島町にも「北甘木」という地名もあるのです(出戻りの可能性あり)。

「益城」地名は「甘木」「天城」などのバリエーションが考えられますが、最近遭遇したのが福岡県飯塚市馬敷(マシキ)です。ここにも大山祇命を奉祭する人々が住んでいるのです。

この大山祇命こそモンゴル高原を闊歩していたトルコ系匈奴であり、江田船山古墳を造った、そして、埼玉県行田市の稲荷山古墳を造った人々ではないかと思うのです。


306-5

カーナビ検索 福岡県飯塚市馬敷


なお、この石貫神社の前にはさくら川が流れ、さくら川町まであります。

これは後世擬えたものかもしれませんが、興味深い事ではあります。

関東ではコノハナノサクヤ姫がサキタマ姫と名を変え、「さらにさくら姫」と呼ばれる事になっているのはご存知のとおりです。

また、玉名市の石貫と西都市の石貫にも多くの地名対応がある事もお知らせしておきます。

これについては、稿を改めてお話する事にします。以下は「朝来」地名、大山祗命について書いたものです。


ひぼろぎ逍遥

144 「朝来」地名について ① “兵庫県朝来市の朝来山から”

145 「朝来」地名について ② “但馬、朝倉、養父、志波” 

146 「朝来」地名について ③ “朝倉氏と小佐氏”

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

179 天高く、青空に誘われ日向の神社探訪 ④ “西都原に大山祗命の痕跡がある!”


また、コノハナノサクヤヒ姫が早々とニニギと別れて旧鹿児島県溝部町に移動し前玉(サキタマ)姫と名を変えた事については、以下のブログをお読みください。


ひぼろぎ逍遥

067 霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社にコノハナノサクヤヒメを探る

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

023コノハナノサクヤヒメを祀る霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社再訪 


今のところ、大幡主、大山祗命の混成軍団こそ「朝来」地名を残した民族複合と考えています。


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