307 飯塚市馬敷に大山祇命を探る!
20160329
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
最近のフィールド・ワークで非常に興味深いと思ったのは、福岡県の中央部の飯塚市の馬敷地区に大山祇命を主神として祀る神社がある事でした。
「そんなものどこでもあるのではないか…」と言われる方はおられるでしょう。
確かに飯塚市と朝倉市の一帯には大山祇命を主神として祀る神社はかなり認められます。
旧筑穂町弥山君ケ畑、同じく桑曲、同じく大根地山、筑紫野市本通寺…の大山祇神社
それも、朝倉地名と対応したものと考えていますが、熊本の益城、朝倉の甘木(実はウマシキ)と北への移動に加えたさらなる北上を確認できなかったからでした。
地名だけの対応は説得力もなく地名の移動のベクトルも探れないのですが、背後にある集落の伝承とか神社の縁起、伝承などにより、経験を積めばある程度の推測ができるようになるからです。
元々、この飯塚市の馬敷地区は、豊前の田川~香春から太宰府へと抜ける古代九州王朝の官道が通じていた場所であり、筑前大分(大分八幡宮)を経て太宰府へと米の山峠へと向かう要衝の地なのです。
飯塚市馬敷
十日ほど前でしたか、小雨模様ながら互いに傘をさして、内倉武久氏と共に豊の国古代史研究会のN氏に誘われ、馬敷の古墳と思しきものを見に行きました。
N氏は猿田彦の石塔がかなりあるので見て欲しいと同行を求めたのでした。
猿田彦の石塔が最も目立つのが肥後であり、中でも熊本県山鹿市の大宮神社に置かれた50基の大型石塔群は異様ですらありますが、この地も猿田彦=ニギハヤヒ=山幸彦の大信仰圏の一つであった事が分かります。
この馬敷には馬敷神社と大山祇命を主神とする大山祇神社がある事を知りました。
この二つの神社を崇める各々の集落があり、互いに対抗意識が認められるのですが、確かに大山祇命を祀る氏族が熊本の益城、朝倉市の甘木地名の移動と見える「馬敷」を携えてさらに北に展開した痕跡地名に見えるのです。
大山祇神社 石塔の奉納の文字の上に桜の神紋が確認できますね
石塔の奉納の文字の上に桜の神紋が確認できますが、大山祇命の娘がコノハナノサクヤ姫で、関東ではさくら姫と呼ばれる事と通底している様に思えます。
境内の一角には桜の模様の入った瓦の破片も確認できます。
博多の櫛田神社の大幡主と大山祇命は擬神体を形成し、鹿児島では田神様(タノカンサー)と呼ばれていますが、桜はモンゴル高原でも咲くもので、彼らがどこからやって来たかを物語っているのです。
桜の原産地は、韓国でも、日本でも無く、ヨーロッパから西シベリア、日本、中国など北半球の温帯域に広く分布しているのです。