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311 人吉盆地の雨宮神社(熊本県相良村)再訪 “悲劇の雨宮姫”

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311 人吉盆地の雨宮神社(熊本県相良村)再訪 “悲劇の雨宮姫”


ひぼろぎ逍遥 ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載        20160401

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


川辺川ダムの建設中止が確定したか否かはなお不明ですが(国土交通省は、事業を廃止した訳ではなくほとぼりが冷めさえすればいつでもどんな理由を付けてでも再開するはずですから…)、人吉市の中心部から国道445号線五木村へと向かうと相良村川辺辺りに非常に印象的な小山を見出します。

 百嶋先生に出会う前、今から20年ほど前ですが、この印象的な森と神域に惹かれて同社を訪れています。

 当然、再訪ということになりますが、当時も「雨宮」とは何かを考えた事がありました。

 その後、雨宮姫を祀る神社や熊本市若葉の雨宮神社などに遭遇しましたが、百嶋神社考古学に触れ雨宮姫という名の神様がおられた事を知ると、この神域こそが雨宮姫を祀る神社ではないかとの思いが深まっています。


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雨宮神社 カーナビ検索 熊本県球磨郡相良村川辺5887


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「熊本県神社誌」によれば、川辺嚴島神社(市杵島姫命を祀る)の摂社とされ天御分神外四柱を祭神とするとあります。

 事実、同社の縁起によれば、天水分神(天御分神) 国立水分神久比邪持神 高於加美神 舟玉命 とあります。


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祭神 天水分神(天御分神) 国立水分神久比邪持神 高於加美神 舟玉命


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同社縁起(一部)


では、何故雨宮大明神と呼ばれていたのでしょうか?確かに相良為続公による雨乞い故事はあるのですが、雨宮姫が祀られていたものの都合が悪い事から隠された可能性もあるのではないかと考えています。

熊本市内の雨宮は、「熊本県神社誌」による建軍神社の摂社 雨宮神社(雨宮大神)、小山諏訪神社の 摂社雨の宮社(祭神不詳)がありますが、情報を得られず、今のところ探索はとん挫しています。


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以下は、故)百嶋由一郎による話です。高木大神の次女タクハタチヂヒメと草部吉見との間に生まれた阿蘇ツ姫=天豊ツ姫が雨宮姫の母なのですが、この女性は、神武天皇の子である懿徳天皇(藤原により第4代とされた本物の神武の子)の正室となります。

ところが、駆け落ちか略奪かは分かりませんが(百嶋説では皇后陛下略奪)、阿蘇の主神である健磐龍命の妻(妃)となり(後に寒川姫、杉山姫)産まれたのが雨宮姫なのです。

このように、傍目にも素性の良くない出生の秘密を持ったのが雨宮姫である事から、阿蘇家にとっても都合が悪い事は想像に難くなく、ために雨宮姫は隠された可能性が否定できないのです。

次の系譜には、雨宮姫の母は 天豊ツ姫→阿蘇ツ姫→天比里刀売→寒川姫→杉山姫 と名を変えた事が書かれています。

天比里刀売とは天の屁こき女の意味で罵倒する意味が込められているのですが、古代においても評判が悪かったのでしょう。

このため、“父である阿蘇高森の草部吉見は始末に困り、ヤタガラスに頼み込み引き受けてもらい、関東の寒川神社の祭神、寒川姫、寒川彦となっている。”とは百嶋先生の解説です。

それが舟玉命(豊玉彦)が雨宮神社縁起に登場する理由なのです。

この雨宮神社と雨宮姫は繋がっているはずです。最後に、現在の雨宮神社の祭神を見て頂きます。


天水分神(天御分神) 国立水分神
久比邪持神 高於加美神 舟玉命


天之水分神 国之水分神…は恐らく大幡主系の神と考えられそうで、雨宮姫の母、寒川姫、杉山姫としてこの阿蘇ツ姫を最終的に受け容れた豊玉彦=ヤタガラス系の神を祭神としている様に見えるのです。

このあたりの事情については、「熊本県神社誌」を書かれた上米良純臣氏(元青井阿蘇神社の宮司)も当の阿蘇家も本当はご存じではないかと思うのですが、今といなっては確認する術を持ちません。


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