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313 相良の産土神か?老神神社  “熊本県人吉市人吉城直下の老神神社“

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313 相良の産土神か?老神神社  熊本県人吉市人吉城直下の老神神社“

        20160402

久留米地名研究会(編集員) 古川 清久


 “人吉市と言えば青井阿蘇神社で決まり!”といった風潮がありますが、隠れ里の如き天上楽園の地である人吉盆地にはまだまだ興味深い数多くの神社が存在します。

その中でも、人吉城直下とも言うべき所謂官庁街の一角に老神神社が存在します。

もうかれこれ三度は参拝させて頂いていますが、ようやくこの神社の性格が見えて来たような気がしています。


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老神神社(おいがみじんじゃ)霧島神社を勧請したと伝えられるが、創立年代は不明。
現在の本殿は、江戸時代のはじめの寛永5(1628)、人吉藩主・相良長毎(ながつね)とその子・頼尚(よりなお)によって相良氏一族の産宮として再興されたいもの。
拝殿および神供所は元は茅葺きの鍵屋になっていたものを、近代に切り離したもの。

HP肥後国くまもとの歴史


老神神社とはその名からだけでも多少のおどろおどろしさ感じますが、逆にコンクリートで固めた草木一本無い神社は神秘性が欠け全く有難みが無くなる事も事実で人とは実にわがままな生き物とも言えるでしょう。

この神社の神殿も所謂鞘殿(人吉風に言えば覆屋様式)の形をとっており、それだけでも筑後物部氏の建築様式を感じさせます。



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「熊本県神社誌」によってもニニギ外五神とされており、縁起書と一致しています。

ほとんど知られた神々であることから説明は不要でしょうが、山幸彦(ニギハヤヒ=猿田彦)のお妃とされているのは豊玉彦(ヤタガラス)と高木大神の娘(豊秋ツ姫)の間に産まれたタゴリ・ミホ=タゴリヒメ(宗像三女神のお一人)である事を補足しておきます。


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ただ、霧島神宮同体との表記は薩摩(島津)への配慮か、鎌倉期に遠江国榛沢郡相良荘から入って来たとされる相良も島津同様の物部(実はモノノフ=武士)系の氏族だった可能性が高く、この六神の何れかの系統に端を発している可能性が高いものと考えられそうです。

 では、それ以前の先住氏族はと言えば、当然ながら、境内社に列せられた菅原系(道真に繋がるナガスネヒコor大幡主のいずれか)、厳島系(因部)、伏見稲荷(アメノウヅメ)、少名彦名命系となりそうです。

 地元の郷土史家S氏、M氏が言われていた事の受け売りでしかありませんが、“相良氏が鎌倉期に地頭として入府して以降それ以前の歴史が全て消されている”との話を聴き及んでいます。

 逆に言えば、現在も一三〇〇年以降の歴史は保存されているとは言えそうで、現地を周ると、建築様式を含め鎌倉を強く意識してしまいます。

 してみると、それ以前の神様を単独で祀る神社に出くわすと本物である可能性が見て取れそうです。

 人吉に行かれたら青井阿蘇にばかり足を向けるのではなく、このような相良侵入の歴史を感じさせる神社も見に行かれたら、より人吉盆地の歴史が見えて来るようになるのかもしれません。


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