327 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑩ “島根県邑智郡邑南町の賀茂神社”
20160422
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
江の川を降り非常に魅力的な江の川河畔の行政都市である川本町で野営し、早朝から、弓ケ峰八幡宮、三嶋神社外数社を訪問した後、島根県でもさらに奥地の邑智郡邑南町に向かうことにしました。
まず、島根県邑智郡邑南町という地名ですが、邑智郡 という地名自体が、瀬戸内海の越智一族=大三島の大山祇命の領域であることを示している上に(それを示すかのように、江の川沿いの川本町から邑南への二つ の入口の中間に三嶋神社が置かれているのです)、それは、同時に忌部の領域にも踏み込むことを意味しているかのように、その一つの入口である国道261号線の分岐部に川本町因原という地名が現存しているのです。
因原の因は、秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ瀛氏(博多の櫛田神社の大幡主の一族であり厳島神社の瀛氏)陰陽師、忌部、卜部、(秦王=姓は嬴、氏は趙)の「瀛」の置き換えなのです。
なお、大山祇命と瀛氏とも相互に姻戚関係を結び実質的には同族関係となっているのです(これについては、ひぼろぎ逍遥159 秦の始皇帝と市杵島姫、ひぼろぎ逍遥182 タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)福岡県朝倉市甘木から”外をお読み下さい)。
さて、濁川(断魚渓)峡谷を抜けるとかなり大きな平野が広がっていました。邑南町は山上楽園とも言うべき隠れ里の様な面持ちを持っています。そして忌部の痕跡があると考えていました。
稲荷、金毘羅、金屋子、八重山、井戸、幼稚、清水山八幡、姫宮神社などが境内摂社として並んでいます。
この清水山八幡は京都の石清水八幡で良さそうですが、姫宮神社が気になります。
今の所、忌部の里に、上賀茂(第10代崇神天皇)系ですが、賀茂の一族の痕跡が確認できて満足していますが、この一キロ東には折居神社(これについては参拝済み)を始め幾つかの賀茂神社が展開しています。
これらを含め、阿須那の賀茂神社を見たいと思っています。
以下は、邑南町でも広島県安芸高田市に近い同種の別社である阿須那の賀茂神社に関する「玄松子」氏のコメントです。
島根県邑智郡邑南町阿須那3 賀茂神社
御祭神 賀茂別雷命
合祀 菅原道眞 豊受姫命 神功皇后 應神天皇 玉依姫命 少名彦命 大年神 地主神 猿田彦之命 受母智神
相殿 式内社 石見國邑智郡 大原神社 武甕槌神 天津兒屋根命 齋主命 姫大神
創祀年代は不詳。 社伝によると、往昔、当社の社人が川で鴨の白羽の矢が、柏の葉に乗って流れてきたのを拾い上げ、山丘崎の榊の下に置いて、その夜、神のお告げがあり、「柏 の葉は国津神、白羽の矢は応化百王の守護である」翌日、榊の元へ行ってみると、すでに矢も柏もなくなっていた。
社人は、国津神は大己貴命と少名彦神、応化百王 の守護神とは上賀茂神、つまり賀茂別雷神であると考え、阿須那八ケの庄の氏神としたらしい。阿須那八ケの庄とは、阿須那・宇都井・戸河内・雪田・口羽・上 田・都賀・大林のこと。 当社に合祀されている大原神社に関して。武甕槌神等を祭神とする大原神社は、一説に、延喜元年四月八日の勧請。 式内社・大原神社の論社の一つであるが、上記伝承に出てくる社人は、ひょっとすると、賀茂神を祀る以前に、何らかの神を奉祀していたのではないだろうかと 考えた場合、それは、古くから相殿に祀られている大原神社ということになる。つまり、本来、大原神社として祀られていた地が京都上賀茂の社領となるにおよ び、賀茂神へ信仰の主体を変化させたのかも。
そう考えると、国津神である柏葉の上に、賀茂を象徴する矢が乗って流れてきたのは象徴的だ。大原神社は本来、国津神であるのだろう。 境内の右手に、四つの境内社が並んでいる。右手から、八幡宮・金刀比羅神社・剣神社・天満宮。境内入口の鳥居の横に、もう一つ大きめの祠があるが名前は不明。『神国島根』には、上記四社の他に恵比須神社とあるが、これだろうか。 神紋は、三つ柏。社記伝承に因んだ紋なのだろう。矢よりも柏を紋とした意味を深読みすると興味深いかも。
境内入口と境内社
これらから、この地域の賀茂神社の性格が多少とも垣間見てきます。
邑南、江の川流域の神社調査は始めたばかりです。