329 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑫ “島根県邑智郡川本町の弓ケ嶺八幡宮”
20160430
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
話が前後しますが、邑南町に入る前に、江の川河畔の小都市である川本町で車中泊しています。
この江の川流域の民俗についてはそれだけで心が躍る思いがするため、いずれ再度時間を掛けて見せて頂こうと考えています。
周辺には見たい集落、見たい神社が無造作に転がっています。
私達神社考古学の者にとっては、どんな海外旅行地や観光地よりも心揺さぶられる魅力的な地域なのです。
山塊と川に挟まれた江の川河畔の行政都市川本町
この街中の一角に弓ケ嶺八幡宮があります。
弓ケ嶺八幡宮 カーナビ検索 島根県邑智郡川本647-1
瀬戸内海側の広島県、岡山県には数多くの多くの八幡宮が認められるのですが、日本海側の島根県、鳥取県になるとその割合は低下し、存ったとしても、基層には大国主命や大山祇神が祀られていた事が直ぐに分かるような神社が多くなります。
ただ、こんな島根県の山奥の町にまで宇佐神宮の神威が及んでいたとは思いませんでしたが、それはこの川本町が鎌倉期まで遡る行政都市の歴史があったからではないかと考えています(未確認)。
そう考えて、川本町のHPを見ると、直ぐに以下の一文が飛び込んできました。
有形文化財(史跡) 丸山城は、三原と田窪にまたがる標高482メートルの頂上にありました。中世に安濃・邇摩両郡と邑智・那賀郡の一部、鹿足・美濃を含む8村を統治した小笠 原氏の最後の山城で、石見地方の中世の山城として特異な築城構想をもった貴重な山城跡となっています。現地は、本丸(主郭)の石垣をはじめ、西の丸(二の 郭)の礎石建物跡が多数確認できます。西の丸からは竈(かまど)跡が確認され、日常生活の陶器類も見つかったことから文献資料と併せ城主が西の丸に居住し ていたこともわかっています。
しかし、その八幡神の底流には古層の神が見て取れます。
読み難いと思いますが、まず、鎌倉期の八幡神の侵入によって押し出された神十柱の内の幾らかが見て取れます。
大己貴命、天児屋根命(実は阿蘇の草部吉見)、素戔嗚尊、金山彦命、金山姫命(恐らく埴安姫)…といったところです。
十世紀に持ち込まれたとされる熊野神社も伊弉冊命=イザナミ(実は熊野那智大社の主神=熊野夫須美大神)とニギハヤヒとされています。
熊野神社にニギハヤヒ(実体は山幸彦)がはっきりと取り込まれている例は初めて見ましたが、非常に興味深いものです。
稲荷神社は当然にも豊受大神(実は熊野神社に取り込まれたニギハヤヒのご主人かつお妃)であり、物部系の神々の足跡が辿れます。
疑問に思われる方は、まず、同社の摂社である熊野神社に、何故、イザナギ、イザナミの片方(イザナミ)しか祀られていないのか?といった辺りから考えて見て頂きたいと思います。
境内摂社熊野神社