336 いつの日にか宮地嶽神社で百嶋神社考古学研究会をやりたい
20160503
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
個人的に(と言っても客観的にもでしょうが)、21世紀に入って日本国内で最も神社に詳しい神社考古学者であったと考えている百嶋由一郎氏は2013年の3年半前の1月1日に85歳で亡くなられています。
これは2012年12月前後に配布していた地名研究会グループの広報用チラシですが、2013年1月27日に宮地嶽神社で行われる予定だった第4回玄海地名研究会が準備されていた事がお分かりになるでしょう。
あれから3年が経過ましたが、今なら、百嶋先生をメインに、インターネット、神社系サイト、パワーポイントを駆使し、現在の勉強会メンバーなどサブ・レポーターを前座として、当時予定していた50人どころか100人程度の神社考古学研究会を行うことが出来ると考えているのですが、今でも百嶋先生がどのような話をされたかったかを考え続けています。
その後、百嶋勉強会は参加者に厚みを増し、非常に熱心な神社研究者の拠り所になっています。
もし、百嶋先生がおられたら、これらのメンバーも理解力を上げており、多くの質問を投げ掛け、多くの疑問が解けているはずなのですが、当時はまだまだ何を質問して良いかさえ見当が付かない状態だったのです。
あと、二年でも三年でも生きておられたらと思うばかりです。
ただ、どのような事を話そうと準備されていたかの一端は今でも確認できます。
勿論、テーマは「宗像大社とは何か?」ですから宗像大社に関わるものです。
これは、当時、配布予定だった手持ち資料の一部ですが、ご覧いただきましょう。
大怪我をした大国主命の世話をしたウムガイヒメ(田心姫、豊玉姫)、キサガイヒメ(市杵島姫)が誰であるかをお話になろうとされていたようです。
また、山幸=ニギハヤヒ=猿田彦と豊受大神=伏見稲荷の間に産まれたウマシマジの妹の細姫=卑弥呼宗女イヨが孝霊天皇の間に産まれたのが孝元天皇で、そのお妃が埴安姫(大幡主の妹)という事になるのです。