スポット056 念願が叶ったあこがれの常陸の国の神社調査と古田史学の会福岡講演会のご案内
20161024
太宰府地名研究会 古川 清久
この間、地名研究会のスケジュールに追われ、悩まされ、長期の調査旅行に入ることが出来ずにいたのですが、ようやくスケジュールの呪縛から解放され、懸案だった常陸の国の神社調査に向かう事ができるようになりました。
恐らく、片道2000キロ、往復5000キロは走る事になるはずで、いくら燃費性能の良いホンダ・フィットシャトル(最新型ではないため25㎞/l)でも片道80ℓ=10,000円弱は掛かるはずです。
高速は極力使わない方針ですが帰路に山梨の勝沼に入る予定でいますので、ある程度高速を使わなければならないと考えています。
高速料金と併せ、4~5万円は掛かりますが、車中泊を中心にした旅ですので、飲食費と温泉(酒はたしなみませんし温泉もほとんど「温泉博士」利用)だけであり、それ以上は一切必要ありません。
まずは、無事に到達する事が大切で、体調を万全にして焦らずに行動したいと考えています。
基本的には一般道利用で通し、無理な行程を入れないようにしようと思っています。
茨城にも山梨にもこの間の研究活動で知り合いになった方々が居られることから、車中泊になっても電気と水の供給は受けられますし、何一つ不自由なく行動できるものと考えています。
勿論、高速道路を命がけで往復するようなものは旅でもなんでもないため、休憩しながらその土地々々の風物を見ながらの遠征になります。
日本海側のコースを取り一先ずは新潟県上越市まで移動し、長野から国道18号線で前橋まで入り、国道50号線で常陸の国を目指しますが、帰路も前橋まで戻り甲州の勝沼、信州諏訪周辺の神社を廻るつもりでいます。
昨年の新潟、山形に続く大遠征になりますので、それこそ宮地嶽神社の交通安全の御守のお札を持って旅立とうとしているところです。
今のところ、常陸、信州、甲斐の主だった神社をどれだけ見る事ができるかは分かりません。
今回も全国的な神様の分布状況を把握する事が主要な目的であり、個々には現地の研究者もおられることから、それほど精密な調査に踏み込む事までは考えていません。
電話やメールでは頻繁に連絡を取っていますが、お会いするのも今回が始めてになり、実際にはどのような展開になるかは全く予想がつきません。
多分、常陸外の神社にまで足を運ぶ可能性もあり、常陸の某所を拠点に周辺の神社を県境を越えてみる事になるのではないかと考えています。
常陸の国周辺の神社と言っても最も有名なのが剣豪塚原卜伝の信奉した鹿島大神=武甕槌命を祀る鹿島神宮、利根川を挟んだ千葉県の香取神社、一言主神社…となるのですが、当然、現地のガイドに従うことになるでしょう。
実際、北関東は人口も多く、車の渋滞も考えられることから、勢い、山手の神社を見たいという気がしているのですが、そう上手く事が運ぶかどうかは全く分かりません。
実際には、日本海ルートで青森まで走る方が反って楽なのかもしれませんが、常陸、信州、甲斐の神社を把握する事無く神社を云々するのも危うい限りであり、何時かは入らなければならないエリアなのです。
どうやら最低でも15日間、下手すれば20日間の行程になりそうですので、戻りが11月19日前後、11月22~23日の栂尾神楽、太宰府地名研のトレッキング・スケジュールの前までには戻らなければならないようです。
なんだかんだ言いながら、月末にスケジュールを集中できるようになり、ようやく全国調査への道が開けた思いがしています。
本来、大分、熊本の神代史研究会への動きを加速させなければならないのですが、トレッキングへの最適の季節でもあり、11月は他のスケジュールをほとんど切り捨て遠征に集中したいと考えています。
少し余白がある事から少し違った事を書かせて頂きます。
時代の変化にも拘わらず、今尚、古代史のセミナーなどには多くの人が集まっているようです。
そこには自らのルーツ探し、自らとは何者なのかに対する答えを求め続けているのかも知れません。
しかし、そこに登場する郷土史家、古代史家といった方達も所属する既存の史談会、郷土史会といったものと共に徐々に消え失せ、行政権力の飼い犬に等しい学芸員、教育委員会の関係者といった人々以外見掛けなくなりつつあります。
つまり、戦後民主主義勃興期に湧き上がった在野の研究者といった人々の総退陣、全絶滅が起こっている様に見えるのです。
一方、なお生き残っている人はと見ると、“行政との関係を切る事はできない”とか、“ユダヤ・イスラエルの話など踏み込むと相手にされないからすべきではない”とか、“九州王朝論といった話も一般には相手にされないから抑えるべき”と言った、いわば「町興し」、「村興し」「世界遺産登録」…に色目を使い狂奔する「行政の芸人」とも言うべき人々しか見掛けなりつつあるのです。
そもそも、時の権力が封印した九州王朝論が行政とか既存の学会通説と衝突する事亡くして存続できるはずはないのであって、口先では“古代の真実を探らなければならない”などとは言うものの、谷川健一程度の曖昧な民俗学的論調でお茶を濁し、自己保身に気配りをしつつ、結局は行政に思いっきり尾を振り、取り入ろうとするさもしい人物しか生き残れないと言う悲しいまでの文化的退廃に突き進む状態になりつつあるのです。
その意味ではやはり古田武彦は幾つもの甘い罠が仕掛けられつつも、一切、色目を使うことなく最後まで筋を通したという意味だけでも偉人であり続けたと思うものです。
しかし、戦後古代史の世界で多くの業績を残した古田武彦が鬼籍に入り一年余りが経過したのですが、「古田九州王朝論」は多くの論客を派生し力強く生き残っている事を再認識させられています。
私自身は古田史学の会の会員であり続けていますが、実際には当の古田史学の会メンバーや通常の九州王朝論者からも“それは九州王朝論ではない”と批判される神社研究世界に入り込んでいます。
それは、穴掘り考古学と文献史学の立場から古代史にアプローチしてきた戦後史学に馴染めず、と、言うよりも、文献史学はともかくとしても、穴掘り考古学に対する不信感、嫌悪感、侮蔑の気持ちがあまりにも強く、代わりに民俗学、地名研究、神社研究、照葉樹林文化論といった清潔な世界に避退したからでした。
特に神社研究に関しては、戦前の皇国史観塗れの誤った世界観から、科学的思考を行う者は接近すべからざるものとの意識が蔓延し、神様に関する話を封殺する事があたかも科学的といった風潮が古代史界、史学界に蔓延していたことから、普通の研究者は避けて通るべきものとする傾向が非常に強く、今尚、当方が行っているようなフィールド・ワークなど全く価値のないものと思われている事だろうと考えています。
従って、そのような内容どころか、古事記の95%は嘘であるとする特殊な百嶋由一郎氏の説に基づき、神社を主軸としたblogを月間で25~30本程度公開し続け、しかも、年間30~40万件程度のアクセスを引き出している者が古田史学の会のメンバーであるとすると、同会に対して非常な迷惑を掛ける事になるだろうと考えているところです。
自らは直接的な古田研究からは遠ざかりつつも、学会通説派の言説には全く価値を見出しておらず、たわいもない邪馬台国畿内説や畿内説に擦り寄らんばかりの東遷説、九州王朝否定論など相手にする事さえ意味がないと思い続けています。
ただし、神社研究を行うとしても、九州王朝論の一部も分からないで、神社研究=特に九州周辺のそれを行う事は完全な的外れになってしまう事から、どうしても九州王朝論を避けて通る事が出来ないと考えており、後続の若手の人たちに対しても、古田史学の会の会報ぐらいは読むべきとして、実際に二桁の方々を誘ってきました。
さて、実のところ古田武彦亡き後の九州王朝論には、当然にも多くの流動化が生じるであろうと考えて来ました。
あの衝撃的な古田武彦の初期三部作が世に問われた頃の興奮を覚えた人々によって形成された九州王朝論の研究会団体にも、いまや、衰退、分散が避けられないのではないかと考えていました。
事実、古田史学の一翼を支え、古田史学の会を上回る内容持つと豪語した市民の古代以来の九州の某研究団体などでも、隆盛期の九州王朝論を支えた地方研究者を続々と失い、牙を抜かれ、通説派の学芸員や利権まみれの考古学関係者などから御高説を拝聴すると言った無様な姿を晒しているというありさまなのです。
当方が古田史学の会に入会した当時、会の分運営を巡って分裂が起きており、九州に於ける古田史学の会の会員数は、その某研究団体に対して約半数の勢力しか持たず、しかもグルーピングさえも行っていなかったのでした。
そういった中で、孤塁を守り続けた古田史学の会九州のメンバーはこの十年ほどの間に逆に会員を倍増させ某団体を凌駕していたのでした。
古田史学の会ではだめだとした福岡市を中心とする某研究団体は、通説派に御高説を聴くていたらくに対して、学会、通説に対して牙を研ぎ続けた古田史学の会の九州の会員はいよいよ表舞台に姿を現し、活動を開始し始めたのです。
もはや、九州に於いてもその質は前述の某団体を凌駕した事でしょう。後はパーマネントな講演会を維持できるかでしょうが、それこそが試金石と言えるのです。
以下は、古田史学の会事務局からの依頼を受け掲載するものです。
『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の内容
【日程】11月27(日)
【テーマ・講師】
1). 13時30分~14時45分
「『魏志倭人伝』と邪馬壹(台)国」
正木裕(古田史学の会・事務局長、大阪府立大学講師)
2). 15時~16時15分
「日本最古の条坊都市 大宰府から難波京へ」
古賀達也(古田史学の会・代表)
3). 16時15分~16時45分
質疑応答
【会場】久留米大学福岡サテライト
(福岡市中央区天神一丁目四番二号 エルガーラオフィス六階。西鉄「福岡天神駅」から徒歩で5分程度。JR博多駅からタクシーで10分)
【参加費】1000円(資料代)。
【主催】古田史学の会