344 チョッパリとパンチョッパリ
ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載
20160506
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
奇妙なタイトルに思えるでしょうが、だんだん意味が分かってきます。
古代史にある程度足を踏み入れた方は、宮廷に上がった女官が鹿の子だったから返されたとか、鹿の足だったから意地悪された…といった話をご存じかも知れません。
神話の森 > 歌語り風土記
和泉式部の足袋 佐賀県杵島郡有明町大字田野上字泉 旧錦江村
むかし杵島郡の和泉村の福泉寺の僧が、仏に供へた茶を裏山に撒かうとすると、白鹿が飲んでしまった。鹿は毎日現はれて茶を飲んだ。ある日、堂の裏で赤子の泣く声がしたので、僧が行って見ると、鹿が人の子を産んで乳ちちを与へてゐた。この子は、寺で子授けを祈願してゐた大黒丸の夫婦に引き取られ、九歳のときに京へ上って宮仕へをしたといふ。娘は和泉式部と呼ばれ、あるとき故郷の錦浦に歌を送って来た。
○ふるさとにかへる衣の色朽ちて、錦の浦や、きしまなるらん 和泉式部
和泉式部は、鹿から生れた鹿の子であったので、生れながらに足の指が二つに割れてゐた。それを隠すために母は足袋を発明して娘にはかせたといふ。(柳田国男・和泉式部の足袋)
丹後国での話だが、翌日の狩猟に備へて和泉式部の夫の藤原保昌らが準備をしてゐると、夜更けに鹿の声が聞えた。和泉式部が鹿を憐れんで歌を詠むと、保昌らは心を打たれて狩りを中止したといふ。(古本説話集)
○ことわりや、いかでか鹿の鳴かざらん。今宵ばかりの命と思へば 和泉式部
神話の森 > 「歌語り風土記」より
開聞岳で閼伽の水を飲んだ雌鹿の口から生まれた赤ん坊は見目麗しく、生まれる時に瑞祥が現れたことから端照姫と名付けられて、智通上人と仙人の塩土老翁により大切に育てられました。日毎に美しさは増し、2歳で読み書きも出来ました。その評判は大宰府から朝廷にまで届きます。藤原鎌足によって京に呼び寄せられ、育てられることになりました。端照姫は13歳の時宮中に召され、名も大宮姫と改めました。
天智天皇は皇后を亡くしていたので、大宮姫が皇后となります。しかし、幸せは長く続きませんでした。
大宮姫は才女で、天女のように美しく、天智天皇の寵愛を受けたのですが宮中女官たちの妬みの的にもなりました。実は大宮姫には人に知られたくない秘密がありました。足の爪が2つに割れていたのです。姫は夏冬問わず、常に足袋を履き、素足を見せませんでした。しかし、ある日女官たちの悪だくみで、足袋を脱がされて鹿の足!牛の爪!とののしられます・・・。大宮姫は耐え切れず、人知れず近江大津宮を出て、生まれ故郷の開聞へ戻ります。しかし、天智天皇は大宮姫を尋ねて遥々開聞の地までやってきたそうです。
その後2人は末永く仲良く暮らしました。
鹿児島県だけで採集できる「大宮姫伝承」の一部ですがblog「思いっきりスローライフ」より
奇妙な話ですが、多くの民族(最低でも帰化人が)が衝突していたと考えられる宮廷がらみの話ですから、ここにはなんらかの民族衝突が反映されているのではないかと考えていましたが、ようやく分かってきました。
ここに「チョッパリ」という朝鮮語があります。既に、一部では日本語の中にも取り込まれていますが、列島人を侮蔑した言葉として、今、一層頻度が上がっているようです。
この鹿の子と鹿の足の話を奇妙と思っていたところで、チョッパリとパンチョッパリが、列島人に対する半島人からの侮蔑語であることに気付き、疑問があっという間に氷解してしまいました。
柳田民俗学とか古典文学や国史学の専門家の言説に頼る必要など全くありませんでした。
ウィキペディアの次の記事をお読みになれば、この奇妙な話の意味が直ぐに分かったのです。
情報化社会はもろ刃の剣と言われますが、こちらは良い方で、労することなく真実に辿りつけるのです。
ウィキペディアは誰が書いたかが不明なため学者は毛嫌いし鼻であしらいますが、私は嫌がらせの意味でも多用することに方針を変えました。
要は真実に辿り着ければ良いだけで学者の遠回しで自己保身に満ちた御高説など一切不要です。
チョッパリ チョッパリ Anti-japan banner, 2005.jpg 韓国で差別語が公然と使われている横断幕
各種表記 ハングル:쪽발이 漢字:豚足 / 豚脚 発音:チョッパリ チョクパリ
英語:jjok-bari テンプレートを表示
チョッパリ或はチョクパリは、朝鮮語における差別用語のひとつで、日本人に対する侮蔑表現である。韓国では比較的頻繁に使われる日本人の卑称。派生語と合わせて解説する。
概要
羊や牛や鹿などの偶蹄類に属する豚の蹄の先が二つに割れていることから、転じて植民地時代に朝鮮人が支配者である日本の民族衣装である下駄の鼻緒や足袋のつま先が二つに分かれている様子を動物になぞらえたものである。端的には「豚の足」を指していて、要するに下駄や足袋を履く日本人を豚になぞらえるようとする表現であって、「豚~」という派生する差別表現も使われる。似た表現に、これよりも古くからあるが、「ウェノム(왜놈 / 倭奴)」があるが、こちらは小中華思想および中華思想を反映したものである。
また、同様に在日韓国・朝鮮人に対して朝鮮半島の人が使う、半分日本人であるという意味のパンチョッパリ(반쪽발이 / 半チョッパリ)という侮蔑語もあり、これは在日への軽蔑の意を表す差別用語である。半分日本人は、同胞ではない部外者であることを暗示するが、混血児や日本在住者だけではなく、日本贔屓や日本人のような行動をする人に対しても広く使われる。似た表現に「キョッポ(교포 / 僑胞)」があるが、これにも侮蔑的ニュアンスが含まれる。
下駄:日本の伝統的履物。親指とその他の指の間に引掛けて履く。
文芸作品
小林勝に『チョッパリ』という小説があるが、朝鮮で暮らした日本人が敗戦を境に「部外者」であることを強く認識して「チョッパリ」という精神的な刑を自らに与えたというものであるが、後藤明生は同小説を「『朝鮮コンプレックス』とでもいう他ない」と書評している。
李恢成に、帰化問題をめぐって家族との葛藤をもつ在日青年を主人公にした「半チョッパリ」という小説がある。
ウィキペディア(20160506 12:30)による
十分にお分かりになったと思います。
佐賀県白石町(旧有明町)、嬉野市塩田町出身と考えられる和泉式部は生まれたとされる現福泉禅寺(当時は無論禅寺ではない)の隣に百済の聖明王一族を祀る稲佐神社があることや、和泉式部の歌に「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」に登場する錦の浦から取られたと考えられる旧有明町がかつては錦江村であったこと、さらには、旧百済の王都の正面を流れる河が錦河(クムガン)であったこと、最後に、泉式部が初めに嫁いだ夫が橘 道貞であり、白石町と嬉野市を隔てる杵島山の西に橘奈良麻呂の変の立太子(廃太子)道祖王の墓が現存するなど、幼少期の式部には百済が色濃く取り巻いているのです。
してみると、和泉式部は「パンチョッパリ」と純粋な(新羅系?)半島人(帰化人)から攻撃され侮辱された事が見えてくるのです。
新羅系からは、百済系も倭人と通婚している事から指が割れた足袋を履き、下駄も履くと毛嫌いし差別したのです。
かれらは、逆に割れたズボンを着こみ鐙を踏むフェルトの靴を履く馬賊の子孫と言うだけの事なのですが、所詮、民族差別とはその程度のものなのです。