347 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑫ “真庭郡新庄村の御鴨神社”
ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載
20160507
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
真庭の中心部から蒜山に向かいます。湯原からそのまま直行もつまらないので西の新庄村経由のコースを取りましたが、新庄村にもかなり重要な神社がありました。
アジスキタカヒコネを主神として祀る神社ですが、なかなか出くわさないものです。
境内摂社としては「稲荷神社大神」として一社がありますが、それ以外にはないようで、神社縁起に言う他四柱が如何なる神々であるかは今のところ分かりません。
社殿は荘厳で境内は美しくそれだけで心惹かれるものでしたが、この御鴨という地名が上賀茂神社、下賀茂神社の「賀茂」から持ち込まれたものであることは言うまでもありません(逆の可能性もあるかも)。
主神が誰であれ、実権を握っていた人々は加茂系の方々、白川伯王~大幡主~ヤタガラス(豊玉彦)の流れを汲む人々だったことを意味しています。
玄松子、神奈備氏も採材されていないようですので、今回はウィキペディア氏を引用します。
嘘つき、胡麻すりの御用学者にはウンザリしていますので、彼らの権威を認めないという意味でも今後とも多用させていただきます。
アジスキタカヒコネ
アヂスキタカヒコネ(アヂシキタカヒコネとも)は、日本神話に登場する神。 『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。
また、阿遅鋤高日子根神、味耜高彦根命とも表記される。別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)。
概要
大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。別名は賀茂社の神の意味である。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、「シキ」は磯城で石畳のことであるとしている。他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。アメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、元々アメノワカヒコと同一の神で、穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする説もある。
伝承[編集]
『古事記』では、葦原中国平定において登場する。シタテルヒメの夫で、高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れた。しかし、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。
『出雲国風土記』によれば、幼い時、その泣き叫ぶ声が非常に大きかったので、静かになるまで船に乗せて八十島(日本)を巡ったり、高屋を作って梯子をかけそれを上り下りさせたりした。天御梶日女(あめのみかじひめ)との間に雨の神である多伎都比古(たきつひこ)をもうけたとしている。
ウィキペディア(20160508 07:30)による
さて、祭神です。
旧社格 県社 総本社 -----
ご祭神
味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのかみ)※[別記]味耜高彦根命/阿遅鉏高日子根神
天御梶日女命(あめのみかじひめ)
大己貴命/大穴牟遅神(おおなむち)※[別名]大国主命
多紀理毘売命(たきりびめ)※[別記]田心姫(たごりびめ):日本書紀 ※[別記]田霧姫 他4柱
ご祭神について 味耜高彦根命:農業の神、雷の神、不動産業の神
天御梶日女命:味耜高彦根命の妃神(出雲風土記)大己貴命:国造りの神、農業神、商業神、医療神
多紀理毘売命:宗像三女のひとつ、大国主の妃神、下照姫命の母神
ご利益 商売繁盛、五穀豊穣、交通安全、恋愛成就 他[対応業種]不動産業 参拝形式 二拝二拍一拝
創建 -----
由緒 当社は、美作郷の総鎮守の大神であり、往古は、美作国真嶋郡美甘郷美甘川の川上、新庄宮座山の山上に鎮座し、神代からの大宮所となる。称光天皇の応永26年(1419年)の頃,宮座山の麓の神集の上の宮に移し奉り、さらに,霊光天皇の延宝7年(1679年)、裏手の路の上の宮に遷座し、更に、中御門天皇の宝永7年(1710年)、現在地に至る。 所在地 (〒717-0201)岡山県真庭郡新庄村梨瀬5388
三位、四位の大国主命と多紀理毘売命については説明不要でしょうが、味耜高彦根命、天御梶日女命については解説が必要かも知れません。
結論から言えば、ウガヤフキアエズの事と考えられます。
百嶋由一郎最終神代系譜(一部)
「ウィキペディア」氏が書いて(指摘して)いる ①“迦毛大御神(かものおおみかみ)”の部分は、母親が豊玉姫であることから百嶋系譜のアジスキ…に対応しそうです。
また、“大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。”の部分は、大国主命のお妃の豊玉姫(タゴリ・ミホ)の次の夫となった山幸彦の子とすれば、異母(市杵島姫)の妹(下照姫)を持つことになり、混乱(偽装)されつつも整合しそうです。
その辺りが、“アメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、元々アメノワカヒコと同一の神…”に関係していそうです。
お分かりでしょうか?味耜高彦根命(アジスキキタカヒコネ)とは百嶋神代系譜のウガヤフキアエズ(安曇磯良=表筒男)の父親であり、鴨玉依姫(宗像三女神のタギツヒメ)夫に相当するのです。
従って、天御梶日女命(アメノミカジヒメ)とは豊玉彦(ヤタガラス)と櫛稲田姫との間に産まれた鴨氏の正統継承者である鴨玉依姫の事なのです。
そして、御鴨神社とはその栄えある系統を今に伝える貴重この上ない古社なのです。
そこまで見てくると、唯一の摂社である稲荷神社が、何故、外に置かれているかも見えるのです。
それは、この稲荷神社の神様とは伊勢神宮外宮の豊受大神の事であり、始めは海幸彦(阿蘇草部吉見神社)のお妃であり、次には山幸彦のお妃となった方だからです。
背後に海幸彦と山幸彦の暗闘が垣間見えます。それは、鴨玉依姫を巡っても再燃しているのです。
由緒書きにその栄光が反映されています。
当社は、美作郷の総鎮守の大神であり、往古は、美作国真嶋郡美甘郷美甘川の川上、新庄宮座山の山上に鎮座し、神代からの大宮所となる。
この川上も奈良の川上、つまり、丹生川上神社 上社、中社、下社 の川上であり、佐賀川上温泉郷の淀姫神社に通底しているのですが、その話は別稿とします。
そこにも、ウガヤフキアエズ(アジスキタカヒコネ)の子であるアズミノイソラが、そして、そのお妃としての豊姫(ユタヒメ)=淀姫が鎮座しているからこそ、京都から大阪に淀川が流れているのです。