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350 加茂別雷神社の二葉葵の神紋 “熊本市植木町豊田の加茂別雷神社”

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350 加茂別雷神社の二葉葵の神紋 “熊本市植木町豊田の加茂別雷神社”

20160509

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


350-1

祭神 別雷神(應神天皇)創立承平年中(931937 「熊本県神社誌」上米良純臣編による


 国道3号線で熊本に向かうと九州自動車道の植木ICの手前 1.5キロメートルほどの所に豊田の交差点があります。これを左に曲がり植木温泉に向かうと、300mも走らないうちに見落としそうな参道があり左手に急な石段があります。

 これが賀茂別雷神社ですが、菊池山鹿周辺に散見される別雷神社の一つであることは言うまでもありません。

それほどの大社と言ったものではないどころか、急な坂を上った崖の上の小さな社といった方が良いような神社ですが、何故か陸軍の大演習に際して天皇が統監されることから、急ごしらえで立派な参道の石段が積まれたと言う話が残されています。

熊本の陸軍特別大演習と言えば、明治351902)年11月の 明治天皇を迎えた陸軍特別大演習がある事は承知していましたが、昭和6年(満州事変勃発前後の時勢急変の時です)の陸軍特別大演習があるのですので恐らく後者の事なのでしょう。


陸軍特別大演習を統監される天皇陛下

350-2

菊池市役所 政策企画部 企画振興課 地域振興係資料

 この神社は六~七年前に別件で一度訪問したことがあるのですが、雨が降り始めた中、特別に石段が積まれたという話が気になり、急な思い付きで再訪しました。


350-3

ご覧の通りの至って小じんまりとした参拝殿、神殿ですが、背後にはかなりの横穴墓が残っています。


350-5


これは昭和32年の社殿改修の記念録

今回、再訪し、この神社が下賀茂ではなく上賀茂神社の流れであることがある程度分かりました。

それは、二葉葵の神紋で判別できます(下右)。しかし、事はそれほど単純ではないのです。


350-6

神額には賀茂皇太神と書かれています     これは二葉葵の一つ

 ところが、神殿上部の神紋を見て驚きました。

 二葉葵の神紋も中々見掛けませんが、なんと、それ以上に珍しい右離れ立ち葵の神紋が神殿最上部に打たれていたのです。


350-6

右離れ立ち葵の神紋

 これで、祭神として「熊本県神社誌」に別雷神(應神天皇)とあるのは、鼻から怪しいのですが、理解できる上賀茂神社の系統の神社との理解も吹き飛び、その底流には、神大市姫か木花開耶姫を奉祭する一族が確認できたのでした。


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百嶋由一郎神代系譜(ヤタガラスバリアシオン)上下

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それほど遠くない菊池市七城町のメロンドーム付近に岡田の加茂別雷神社があります。

表向きはどうであれ、これは間違いなく、藤原が第10代に格上げした崇神天皇を祀る神社です(ひぼろぎ逍遥(跡宮)200 菊池市七城町岡田の加茂別雷神社 “雷さんが居られるんですよ”を参照のこと)。

しかし、この右割れ立ち葵の神紋を見たことから、さらにその底流に別の氏族を見出しました。

問題は、百嶋由一郎神代系譜(ヤタガラスバリアシオン)上の神大市姫と木花開耶姫のどちらなのかです。

 今のところそれを特定させるだけの決め手を持ちません。

 思えば、この地は豊田と呼ばれていますね、ミマキイリヒコ=ツヌガノアラシト=中筒男命=崇神天皇の息子も豊城入彦でしたね…。

思えば「熊本県神社誌」を書かれた故)上米良純臣元宮司(青井阿蘇神社等)は百嶋由一郎氏とも深い親交をお持ちでした。

このお二人は十分お分かりだったと思うのですが、死んで話を聴きに行くとしても、私は天国とか極楽ではなく、亡者として徘徊するだけだと思い、やはり叶わないと思うばかりです。


研究のため百嶋神代系譜をご覧になりたい方は、09062983254まで直接ご連絡下さい(常時対応)。



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