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407 玖珂の斎宮神社の倭姫命 

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407 玖珂の斎宮神社の倭姫命 

ひぼろぎ逍遥 ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載

20161005

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


南阿波~東土佐の神社調査の帰路、国道2号線で広島~岩国~周南へと移動していると、右手に気になる神社があり訪問させて頂きました。


407-1



鳥居には神額がなく顔の見えない神社かと思いましたが、何と驚くことに斎宮神社それも倭姫命を主神として祀る神社だったのです。


まず、斎宮ですが、ウィキペディア氏(20161005 18:20は、「斎宮(さいぐう/さいくう/いつきのみや/いわいのみや)は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所(現在の斎宮跡)であるが、平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指した。後者は伊勢斎王や伊勢斎宮とも称する」「『日本書紀』崇神天皇紀によれば、崇神天皇が皇女豊鍬入姫命に命じて宮中に祭られていた天照大神を大和国の笠縫邑に祭らせたとあり、これが斎王(斎宮)の始まりとされる。そして次の垂仁天皇の時代、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命が各地を巡行し伊勢国に辿りつき、そこに天照大神を祭った。この時のことを『日本書紀』垂仁天皇紀は「斎宮(いはいのみや)を五十鈴の川上に興(た)つ。是を磯宮(いそのみや)と謂ふ」と記し、これが斎王の忌み籠る宮、即ち後の斎宮御所の原型であったと推測される。また垂仁天皇紀は「天皇、倭姫命を以って御杖(みつえ)として、天照大神に貢奉(たてまつ)りたまふ」とも述べ、以後斎王は天皇の代替わり毎に置かれて天照大神の「御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)」として伊勢神宮に奉仕したといい(ただし史料上は必ず置かれたかどうかは不明で、任期などもそれほど明確ではない)、用明天皇朝を契機に一時途絶えたが、天武天皇の時代に正式に制度として確立し(『扶桑略記』は天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願の礼として伊勢神宮に自らの皇女大来皇女を捧げたのが初代とする)、以後は天皇の代替わり毎に必ず新しい斎王が選ばれ、南北朝時代まで続く制度となった」…と書いておられます


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参拝殿の天井には美しい絵馬が…


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同社由緒



この神社に驚いた理由は、以下の通りです。

 伊勢神宮(天照大御神)の鎮座地を求めてさまよい歩いたとされる倭姫命を祀る神社は、唯一、佐賀県の嬉野市(旧塩田町)の味島神社だけ(伊勢神宮内の一社は近世のものである)であると理解していたのです。

 また、この九州王朝の重要な領域であり古代官道とも重なる2号線沿いの玖珂の同地に鎮座していた事にも驚いています。


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味島神社(嬉野市塩田町谷所)


鳥坂の鳥附城があった山の南の山麓に倭姫命を祭神とする味島神社があります。神社の由緒等詳かではないのですが、大正五年毛利代三郎編「塩田郷土誌」によれば「仁明天皇承和年間(八三四~八四八)新に神領を下し社殿を建立した」                           (旧塩田町史)



同社の由緒は非常に興味深いのですが、とりあえず創立が大同年間(九世紀初頭)とされており、味島神社の創立より古いため考えさせられます。

 ここでは結論を急がず、倭姫命を祀る神社が存在している事を確認するに留めます。.


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境内より2号線方向を望む


倭姫命に関しては、ひぼろぎ逍遥 012 日本で一つ、主神として倭姫命を祀る神社 で触れていますのでお読み下さい。


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