スポット099 奥出雲の仁田郡調査に行かなければならない
20170407
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
この間「先代旧事本紀」巻第三 天神本紀 筆頭二田物部の拠点を求めて調査を進めてきた事はお話ししていますが、既に、二田物部の故地には二田類似地名とニギハヤヒ祭祀とが共存している事実を認識している事から、これをメルクマールとして二田物部の移動を探っています。
現在のところ、最も南の①熊本県熊本市植木町田底二田に二田神社が…②福岡県八女市星野村仁田坂、仁田郷があり天照国照彦…祭祀が…③福岡県久留米市田主丸町石垣二田に二田月読神社(猿田彦祭祀あり)…④福岡県久留米市田主丸町中心部に三夜様=月読神社(猿田彦祭祀あり)が…⑤福岡県小竹町新多が…この地こそ二田物部の最大拠点だったと認識する研究者は多い ⑥島根県太田市に全国最大の物部神社が存在している事は言うまでもなく⑦新潟県柏崎刈羽原発に近い西山町に二田があり物部神社が…さらに⑧秋田県潟上市天王字上江川に二田があり二田神社が存在している事まで確認してきました。
どうやら、日本海ルートで北に避退した二田物部が見えるのですが、島根県にはもう一つの避退地があった事に気付きました。
それが島根県(出雲国)の仁多郡(ニタ)郡です。
島根県神社庁/仁多郡奥出雲町 神社一覧を見ると
仁多郡には五十猛を祀る神社が四社確認できます。これまでにも何度か入っていますがこの四社は未見の神社であり、現地を踏めば、物部の移動について何らかの痕跡を確認できるのではないかと考えています(本ブログのオンエア用の編集時点4月半ばには往復1100キロの行程で二度調査を済ませています)。
勿論、五十猛とはニギハヤヒの別名であることは言うまでもありません。
以前にも一度触れましたが、分かりやすい例がありますので再度ご紹介しておきましょう。
山陰本線五十猛駅、静間(ここも建葉槌命と関係がありそうですが)、太田市…と駅が続きますが、物部氏の最大拠点の傍に五十猛駅があることは象徴的ですらあります。手前にはウマシマジの「馬路」(仁摩町)も。