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スポット102 研究者による研究会を創らなければならない

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スポット102 研究者による研究会を創らなければならない

20170530

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 今時、何故、神社を調べなければならないのか?と考えられる方は多いでしょうが、個人としても、グループとしても、各々のメンバーとしても、日々、多くの人々が神社を調べ続けています。

sp102-1 現在、公開講座で綾杉るな女史による「高良玉垂宮神秘書」(コウラタマタレグウジンヒショと読むべし)の解読作業が行われていますが、「久留米藩社方開基」(有馬藩入府時に作成された神社誌で「福岡県神社誌」3巻より詳しい第一級資料)に基づき30年以上筑後の神社を研究してこられた宮原誠一氏による「ヒミコ宗女イヨ」が発表されました(6月にネット上に公開予定)。


卑弥呼(ヒミコ)宗女 壹與(イヨ) 百嶋神社考古学神代系図をみていると、壹與(細姫)の余白に必ず「ヒミコ宗女イヨ」という語句が記入されている。百嶋先生が表向き単刀直入に言いたいことを言えずに、間接的に表現された言葉である。「ヒミコ宗女イヨ」の語句には卑弥呼と壹與の重要な関係が秘められており、この関係が分かることにより天族(天つ神)が何であるかが分かってくる。百嶋神社考古学では、「ヒミコ」について…(以下はネットでお読み下さい)。


氏も綾杉女史同様、「宮神秘書」(グウジンヒショ)を口語訳され、解読作業を進めておられ、その成果も随時ネット上に公開されるものと思われます。


高良玉垂宮神秘書 第1条 (前略) 天照大神の御子、四人おわします。三人は、天照大神より四代まで継ぎ給う。正哉吾勝々速日天忍穂耳尊、その御弟は天津彦々火瓊々杵尊、その御弟は彦火々出見尊、その御弟を彦ソソリノ尊と申し奉る。この彦ソソリノ尊は神代を継ぎ給わざる故に海の遠くへ参らせ給うなり。ある時、彦火々出見尊が弟彦ソソリノ尊に釣針を借り給いて、兄の彦火々出見尊は海原に出給いて、鉤を海に入れ給う。アカメクチというもの、この釣針を食い切る。御弟彦ソソリノ尊の持ち伝えの釣針なれば、兄の彦火々出見尊、呆然と呆れて立ち給う所に、塩土の翁と云う者、着たり曰く。我皇子にて、御身の御徳を忘れず。今現れ来たりなり。その御礼を申さんとて、メナシカゴ(目無籠)と云う者に、彦火々出見尊を連れ奉り、海中に招き入れれば、ほどなく竜宮界に着き給われる。 (後略) 


今回はご紹介だけに留めますが、右はこの解読作業の結果、百嶋由一郎氏が作成された神代系譜をさらに踏み込んで復元された神代系譜です。そもそも「宮神秘書」は「古事記」「日本書紀」とは全く相いれない内容を持っており(例えば高良玉垂命と神功皇后は夫婦でその長子が仁徳天皇…)九州王朝論者も含めて「記」「紀」をベースに研究を進めておられる方々の努力は十分評価いたしますが、結果は漫画に近いものになっているのです。

卑弥呼(ヒミコ)宗女 壹與(イヨ)については近々公開予定ですのでこれ以上は触れない事にします。


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現在、太宰府地名研究会には多くのブログ、HPがリンクされていますが、これらの大半が程度の差こそあれ稀代の神社研究者であった百嶋由一郎氏の神社研究を意識した人々によるものです。


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今般、新たに「百嶋神社考古学」からみる古代 と「橘一族の末裔」2blog6月中に加わりますので、百嶋神社考古学を意識した156本のHPblogの連携が成立した事になります。

もちろんこれらのブロガーは自らの頭で考え自らの足で拾った事実、調査研究を記録し公開し後世に引き継ごうとされています。

本来の研究会とは研究者による研究会だったのであり、研究会と称して学会通説の宣伝を行う学芸員の御高説を賜わる会や、文章も書かず読んだ本のコピーの寄せ集め資料で受売りの講演を行う方のお話を受け止めるだけの会では(勿論無害ですが)十年やっても何の業績も残せず潰え去るだけであり、学会通説の大嘘つきの構造は微動だにしないでしょう。

戦後民主主義が瞬間的にもたらした晴れ間から刺す陽を受け多くの考古学研究会、史談会、郷土史会、地名研究会…といった多くの研究会が勃興しましたが、これらは等しく情熱溢れる若き在野の研究者、記録者、資料収集者、民間伝承収集者…の集まりとしてスタートしたのであって、決して学者とそれに連なる教育委員会、学芸員の御高説を拝聴する会ではなかったのです。

このような使命感を持った研究者、少なくとも記録を収集し残し後世に伝えようとする人々の集まりでなければ何も残らないまま潰え去るだけになるのです。

ましてや、本も出さず、HPblogとして公開もしていなければ、情報化された現代に於いては存在していない事と同義であり、現状では、自らの足で歩いて回収した独自のソースに基づくネット上に公開された研究だけがものを言う時代となっているのです。研究者の死後も公開を継続する事は可能であり、今後もこれらのblog20本には拡大するはずで、それ以外にも、日夜、ネット上、文献上、また現場でのフィールド・ワークとして神社を調べ続ける研究者、調査者、記録者…としての有機的連合体としての研究会でなければ、古田武彦政精神を継承した九州王朝論からの古代の探索の深化はおぼつかなく、最終的には通説派による文化行政の末端として逆に利用され潰え去る事になるでしょう。   


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また、新たに百嶋由一郎神社考古学に触発された二つのblogが加わりますので宜しく。


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九州王朝の中枢を支えた紀氏=橘一族の同族を探究するblogです。できたてほやほやで探し難いと思いますので、始めは、“”を付して“橘氏の末裔”として検索を試みて下さい。


 次は文献史学派の方で、百嶋由一郎神社考古学に関心を寄せて頂いた特異な研究スタイルですが、今後どのように展開されるか興味津々と言ったところです。


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 仮題 「百嶋神社考古学」から見る古代 山田 裕(安城市)


既に、北関東から二人のブロガーが参加されていますが(「常陸の国ふしぎ探検隊」「スピリチュアルチャヒーラ宮古の縁側日記」)、今回は中京地域からの参入ですので、当グループも全国化してきましたね。


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