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205 「釜蓋」とは何か?“民俗学者 谷川健一の永尾地名から”④

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205 「釜蓋」とは何か?“民俗学者 谷川健一の永尾地名から”④

20150409


久留米地名研究会 古川 清久


「釜蓋」(カマブタ) 江ノ尾地名は九州の東にも”


6) 江ノ脇(大分県大分市志生木)”

大分市の佐賀関半島といえば関アジ、関サバしか頭に浮かばないという知的貧困は置くとして、ここでは、佐賀関からさほど遠くない所にある志生木(シユウキ)の江ノ脇(エーノワキ)という地名をとりあげます。一見、ありふれた、しかし、あまり聞かない小地名ですが、普通なら入江の縁辺りにつくもので、「特別珍しいものではない・・・」などと片付けられてしまいそうです。もちろん、海岸線から五百メートルは入り込んだ場所ですから、その地形から入江の縁という理解が間違いではないようにも思えますが、私はさらに思考の冒険に踏み込むことにしたいと思います。

 まず、地名調査では現地を踏むことが鉄則とされています。もちろん、想像がなければ全ては始まらないのも道理であり、推論それ自体は必要なことなのですが、たいへん有難いことに、現地を踏む機会を得たことから報告することとしたものです。

大分市の中心部から大在(オオザイ)、坂ノ市(サカノイチ)、細(ホソ)、神崎(コウザキ)を抜け、佐賀関半島の北岸を東に進むと、未だ、コンクリート構造物に汚されない美しい海岸線が現れ、大志生木、弁天鼻、小志生木という印象的な地名に遭遇します。

江ノ脇は志生木川右岸に位置し多少内陸に入った山裾の小集落ですが、なぜ、この地名が面白いかというと全てはこの地形に尽きます。

ここは三つの岬が連続し別府湾に突き出していますが、その岬の間に二つの弧状の砂浜がウイングを広げています。最も美しく明瞭な岬は真中の弁天鼻ですが、想像するにこの尖った岩塊は海の底まで延びているのでしょう。もしかしたらこの岬全体が陥没を起こしたのかも知れませんが、古くはこの岬の両脇は内陸部のかなり奥まで海が入っていたはずで、川から送り出された土砂が川からと海流による運搬力が衝突することによって堆積が進み両方の志生木の平地が生まれたものと考えられるのです。

さて、今般、江ノ脇地名を取上げた理由は、この一帯の地形もある魚の形状に似ているからです。

これまで、九州全域でこれに類するものを六、七ケ所ほど採集してきましたが、地形の面からだけで見れば、これほど明瞭なものはないように思います。

まず、この江ノ脇(エイノワキ、エーノワキ)がエイの脇であれば、これほど典型的なエイの地形を持った土地はないでしょう。地図を見られればお分かりのように、弁天鼻というエイの尾の両脇には、湾曲した大志生木、小志生木の砂浜がエイのヒレのように広がっています。さらに、エイの背骨が尾根として延びています。江ノ脇はこの本体の脇にある事になり、地形と地名とがピッタリ符合するのです。もちろん、入江の脇と解釈する事も可能でしょうが、山に這い上がったエイの姿にしか見えません。


205-1


もう、お分かりになったと思います。弁天鼻がエイの尾であり、江ノ脇とは文字通りエイのヒレ(脇)の内側に当るのであり、この地名が付された時代の波際線を今に伝えるものであったと考えるのです。


205-2

志生川右岸の江ノ脇


本来は地元の伝承や字図を調べるなど付随する調査が必要であり、谷川説の鎌田山のように何らかの傍証が発見できるのではないかとも思うのですが、短時間の調査ではここまでが限界です。詳しくは、山上に鎮座まします武内神社や大志生木小学校の前にある西岡神社の縁起などを調べるべきでしょうが、残念ながら九州脊梁山地の大山塊を越えた遠い異国のことであり届きません。  


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205-4

7) “先釜蓋、釜蓋”

 これは最近発見したもので、地形は把握しているものの背景調査を行っていません。

先釜蓋という地名が古地図に出てきます。

現地は天草島原の乱で百姓が篭城した原城の一角なのですが、地形はピッタリします。

今後とも調査を続けます。また、前述の佐賀県の唐津市の江ノ口や平戸口の釜田という地名があるのですがこれもこれからです。              

永尾地名は谷川健一によって提案されたものですが、もしも、彼が発見しなかったとしたら恐らく永遠に気づかないで見過ごしていたことでしょう。

どのように考えてもこの地名はエイを意識する漁民によって付されたものと思います。

沖合を航行する船から見れば、あたかもヒレを広げて山に登ったエイがいるように見えるのであり、エイという魚を日常的に意識する南方系の海洋民が持ち込んだ地名と考えるのです。

今日も発見は続いています。

五島灘に浮かぶ長崎県の江ノ島は全島がマンタに見えます。江ノ島はエイの島かもしれません。

 また、鹿児島県の甑島の江石(エイシ)があり、先端には茅牟田崎(カヤムタザキ)があります。

エイシ(多分、エイのウシの転化)に住み着いた人々は南から来た人々で、岬の先端をカマンタに見立てたのでしょう。現地の確認のためにも、近々にも憧れの甑島を訪れたいと思います。

茅牟田崎(カヤムタ崎)を見ると、永尾地名の中でも古い地名に思えます。カマブタよりもカヤムタが古いという意味ですが、カマムタが古形で、その後カマブタに変化したのではないでしょうか。それは、全く同意ながら、M音とB音の入れ替わり現象というものが背後で作用しているのです。

これについては、九月にも永井正範氏にお話してもらいますので、詳しくは申し上げませんが、日本語にはこのような面白い現象が認められます。


(危ない) (煙い) (淋しい) (寒い) (冷たい) (乏しい) (眠い)

あむない   けむい  さみしい  さむい  つめたい  ともしい ねむい 

あぶない   けぶい  さびしい  さぶい  つべたい  とぼしい ねぶい


(俯く) (傾く) (瞑る) (灯す) (葬る) (舐る)(隠る)(思ほす)(産む)

うつむく かたむく つむる ともす ほうむる ねむる  なまる おもほす うむ

うつぶく かたぶく つぶる とぼす ほうぶる ねぶる  なばる おぼほす うぶ


これに従えば、釜蓋(カマブタ)はカマムタでもあるのです。

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8) “五島灘に浮かぶ江島”

西海橋の沖、長崎の西彼杵半島の西の海、五島列島との間に浮かぶ絶海の二島、平島、江島(エノシマ)があります。

甑島とともに未踏の島であり、本来は掲載すべきではないのですが、茅牟田崎の下流にあることから可能性のある島として紹介しておきます。今後の踏査により何らかの発見があるかも知れません。もちろん、江島はエイの島と考えています。

西海橋の沖、長崎の西彼杵半島の西の海、五島列島との間に浮かぶ二島、平島、江島(エノシマ)は以前から釣りに行きたいあこがれの島でした。

いずれ、現地の地形を確認したいと考えています。


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