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209(後編) 災害後しか関心を持たれない「災害地名」

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ヌゲンクユル

これは、十年も前に書いたもので、近藤邦明氏のサイト「環境問題を考える」“環境問題の科学的根拠を論じる“のサブ・サイト=アンビエンテ内の「有明臨海日記」に書いた小稿です。

久しぶりに引っ張り出したものの、実は「果たしてタイトルがこれで良かったのか?」と悩んでいるところです。

 当時、ヌゲノクヅルがヌゲンクユルと転化したものと考えていたのですが、実はヌゲノクル→ヌゲンクッと促音化しただけのものだったのではなかったかと考え直しています。

 恐らくこのおばあさんは、「あの土地は崩れるから良くない土地で買わない方が良い…」と言っていたのだと思います。


ヌゲンクユル

これも、勤務中に耳にした方言というよりも、古語の話です。

ちょうど、リポートⅡの球磨川の話、109.瀬戸石崩れ(セトイシクズレ)、=瀬戸石崩(セトイシクエ)を仕上げていた時期でしたが、同僚のマサシ君とレッサー・パンダ君が二人で出張したのです。

焼き物の町有田に隣接する山内町という田舎の小さな町の話ですが、八十に近いお婆さんと話を始めたら、“ヌゲンクユル”、“ヌゲンクユッ”(「あそこはヌゲンクユッケンヨーナカもんね!」)などと言い出だして、“始めは何の事だか意味がさっぱり分からなかった”と話してくれました。

 二人は三十代の前半と後半の青年団(これはシャレ)のために当然の事かと思わざるを得ませんでした。

恐らく六十歳前後の人までは大体の意味は拾えるのでしょうが、さすがに三十代ともなると、よほど言語に興味を持っていない限り、理解できないのは“いたしかたない”と言わざるを得ないでしょう。

二人とも読書好きの優秀な職員ですが、それは時代、世代の限界であり、こうして古い言葉は消え去り、「立ち上げる」などといった自動詞と他動詞の区別も付けられない愚かな言葉(行政からマスコミに至るまで馬鹿げた用法が広がっています)が巾を利かすような事になって行くのです。

瀬戸石崩(セトイシクエ)でも説明しましたが、“クエル”、“クユル”、“クユッ”は、崩れるの古形ですが、崖が崩れることを言います。


【崩え・潰え】(クユの連用形から)崖崩(がけくずれ)。また、崖、つえ。(広辞苑)


九州の秀峰に祖母山、傾山がありますが、その一峰に大崩山(オオクエ)がありますので、この山を見られれば、意味がより鮮明になるかもしれません。

 “ヌゲノ”の方も一応、説明しますが、“ノ”は格助詞の“ノ”であり、“ガ”ほどの意味です。“ヌゲ”も広辞苑を見てみましょう。
 【脱げる】《自下一》*□(□の中に文)ぬ・ぐ(下ニ)身に付けたものがひとりでに取れて離れる。外側を覆い包んでいたものが取れて離れる。・・・
 結局、このお婆さんが二人に話したのは、「一度崩れた場所(だから)がまた崩れる」という意味だったのです。もちろん「ヌゲ」は脱げたところ、つまり、崩れた所という意味の動詞から転化した名詞の「脱げ」(崩壊地)の意味だったのですが、同地区の古老の間では、“ヌゲル”も動詞として生きていることは言うまでもありません。 

人気のある黒川温泉からそう遠くない熊本県小国町の岳の湯、はげの湯の「はげ」も同じく崩壊地を意味する地名で「ハゲル」は「・・・草木がなくなって山などの地肌が露出する。・・・」(広辞苑)にあるように、「ヌゲル」と同じ言葉ですが、熊本と佐賀の二つの言葉がなぜ分散しているかまでは見当も付きません。多分、地名の成立期の違いなのでしょう。

今になって改めて自分の文章を読むと、正直言って、“大まかには良いけれども少し違うかな…”といった印象を持ちます。

それは、「ぬげる」は「脱げる」とも言えますが、むしろ、「抜ける」「貫ける」とも表現すべきだったかも知れません。おばあさんは「漢字」で話していた訳ではないのですから。


 それはそれとして、広島の土砂崩れ災害においても、決まって、「当時、行政は危険地の指定を怠っていた」とか「住民は危険を全く知らされていなかった」とか開発業者も「その当時は精いっぱいの事はやったのですが、まさか、そんな地名の土地だとは知らなかった…」と、購入する側も「危険地域であったと知らされていたとすれば決して買わなかったのに…」と言ったステロ・タイプの話が新聞紙上で踊っていました。

戦後復興期に重化学工業で勃興した広島、福山、水島などの瀬戸内海沿岸の工業地帯では急速な土地需要の盛り上がりに応じて、ビジネス・チャンスとばかりに競って造成地が開発されました。

そんな時代に、ここを開発すると危険だと主張する学者とか識者がいたとしても、排斥されただろうことは確実だったはずです。

今でこそ取り上げられますが、当時、このような正論を主張する人(分かっていた人は必ずいたはずですが)は、恐らくいち早く購入したい人まで巻き込んで地元マスコミも、地域の発展を邪魔する迷惑な人間扱いしただろう事は想像するに難くありません。

結局、危ない土地=安い土地は、所得の低い貧乏人には喉から手が出るほど欲しいはずで、急傾斜地の危険地指定をしようとでもすれば(当時はその仕組みも存在しなかったはずですが)、行政関係者、研究者、技術者も攻撃を受け、開発業者から賄賂を貰ってでも開発の旗を振る人間が持て囃されたはずなのです。

こうして、いつの時代でも金を持たない人間だけが決まって犠牲になるのです。

そして、結局、マスコミや行政当局よりも、前述の「ヌゲンクユル」のおばあさんの方がよほど賢く、よほど正しい判断をしている事になるのです。

被害にあった時だけ「他人の責任にして騒ぎ喚く」見苦しい真似だけは辞めるべきでしょう。

宮崎県は歴代林野庁官僚共の食い物になり続け、売れもしない急傾斜地の広葉樹林地域に膨大な針葉樹林が造成され続け、いたるところで土砂崩落が起こり続け、現在なおダムが埋まり続けています。

この田野はほんの一例で、諸塚村、椎葉村でも大規模な崩落災害が起こっているのです。

この旧田野町(宮崎市)では県営クラスの大型ダム一つ分(実に500万立方メートル)の土砂が崩落したのです。その林野庁との関係の反省で生まれたのが東国原県政でしたが、一時的に利用し利用されただけで、しばらくすれば使い捨てで、どうせ、今はまたモトノモクアミとなっている事でしょう。


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