天香香背男(アメノカガセオ)を祀る神社 佐賀県編 鹿島市三河内の三嶽神社
20170610
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
現段階で神武に逆らったとされる長脛彦を祀る神社と考えている神社が九州にも十社近くあるようです。
それは、「神奈備」氏によるもので、「天香香背男」と「神奈備」とでも検索すれば、直ぐにそのデータが拾えます「天香香背男命を祀る神社一覧」…。
九州では、これまで「岐神」(クナトノカミ)とか「長脛彦」(ナガスネヒコ)として探していた事から拾えなかったのですが、この「天香香背男」という北関東などを中心とする神名として無視していたもので、「天香香背男」検索すると、九州でもこの神名で存在する事に気付いたのでした。
そこで、梅雨入り直後の佐賀県鹿島市に向かったのでした。
天香香背男命を祀る神社一覧(神奈備)
福岡県浮羽郡吉井町大字福益1358 熊野神社摂社三光神社「天照皇大神 配 月讀神、天加賀世男神」
佐賀県鹿島市大字三河内丙1 三嶽神社「廣國押建金日命 合 星神ほか」
熊本県阿蘇郡南小国町赤馬場2364 冠神社「阿蘇大神 合 大年神、星神」
大分県佐伯市大字鶴望2421番地 星宮神社「香香世男大神ほか」
大分県佐伯市大字守後浦44番地 産靈神社「天香香背男神」
鹿島市の中心部から西へ6~7キロも入ったかなり奥まった地区に三嶽神社が鎮座しています。
純農村地帯と言ってもそれなりの山岳地帯(多良岳山系)に連続する領域への入口といった場所なのですが、付近には殷の鳥居を持つ八天神社があり、土穴(古代の溶鉱炉を意味する)という地区があるように製鉄の神、金属精錬の神が居たような場所であると言う印象は持っていました。
実は、以前この地区で勤務していた事があるのですが、この神社にも仕事の合間を縫って参拝していた事がありました。
ただ、社名と位置とが一致していなかった事から、直前までこの神社だとは思っても見ませんでした。
神社に近づくにつれてあの神社じゃないかと思ったのですが、その通りでした。
百嶋神代系譜によれば、イザナギとイザナミとの王子であるスサノウと金山彦と埴安姫の王女である櫛稲田姫との間に産れたスーパー・スターの長脛彦を奉斎する氏族=その後裔氏族がこの地に入り、製鉄を続けていたのではないかと考えるのです。
これで、敬愛するHP「神奈備」氏のリストに基づいて全ての天香香背男を祭祀する神社を見た事になります。
この外に鹿児島県南さつま市の坊津と出水市野田町で二つ確認していますので、7社を確認した事になりますが、それよりも福岡県飯塚市伊岐須の高宮八幡宮こそが本拠地だったのではないかとの感触を掴んでいますので、8つの祭祀があるように思います。
これについては、ひぼろぎ逍遥(跡宮) 431 飯塚市伊岐須の高宮八幡宮とは何か? “鳥見の長脛彦は飯塚にいた”をお読みください。
では、三嶽神社の由緒をご覧下さい。
同社由緒記
水分神はスサノウのお妃である神大市姫=罔象女(ミズハノメ)
廣國押武金日神は継体天皇の子の安閑天皇とされる神
日本武尊はヤマトタケルですね
大山祗は説明不要ですが、長脛彦の祖父になると言えば分かりやすいですか?
菅原道真も説明不要ですが、実は長脛彦の後裔氏族でもあるのです。
星神こそ神武天皇に楯突いた逆賊とされる長脛彦です。
しかし、民族と民族の衝突なのですから逆賊でも何でもないのです。
さて、上の4枚目の写真の鳥居の神額には蔵王宮(蔵王権現)と書かれていました。
これこそが、長脛彦の祖父にあたる金山彦なのです。
そして、その先には多良嶽山岳修験への道が延びていました。
これを見たとき、確かに長脛彦を奉斎する修験集団が存在した事を確信したのでした。
金属柵は猪除けです。
百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
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