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スポット140 太宰府地名研究会の神社トレッキングに参加しませんか? “先行繰り上げ掲載”

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スポット140 太宰府地名研究会の神社トレッキングに参加しませんか? 

20171027

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


現在、太宰府地名研究会では福岡、大分、熊本の三県に於いてトレッキングを行なっています。

 さすがに大雨ともなれば室内での勉強会に切替え延期にもしますが、小雨程度ならば傘を刺してでも可能な限り現場を踏むという方針で探査を続けています。

 このような、自らの頭と手足を使って調査をしようと言う姿勢なくしては古代の真実への扉を開けることはできないと考えているからです。

この点、古代史の多くが北部九州で起こっている…とする九州王朝論者にあっても、目と鼻の先にあるフィールドに一切出ようともせず、濃厚な伝承が残り重要な現場が存在するにも拘わらず一切調べようともせずに、薄っぺらな“邪馬台国本の読み比べ”を行っているようでは結果として九州の現場など見向きもしない大嘘つきの学会通説派の尻押し団体となっているだけの事なのです。

 もっとも、○○研究会といった人々も現場は見て廻っていると言う方はおられるでしょう。

 しかし、○○検定とかボランティア歴史ガイドなどと称して通説派の学芸員が造った型通りのコースを丸呑みし、それ以外は一切誤りだ!などと調教され強弁する輩が産みだされる構造を容認しているだけの古代史ポイントを見て廻るだけで、調査旅行と称する慰安会をやっているだけでは何も発見できるはずはないのです。

 所詮、自前の講演会を行ったとしても右から聴いて左に貫けるだけのような人々集まりではどうにもならないのであって、自らの目と手足を使って現場を探索する気概と意志を持ち続ける人にだけ古代は微笑み掛けるのです(意志あるところに道は開かれる)。


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特に、1119日に予定している 神功皇后の生育地を探る! トレッキング(佐賀県佐賀市三瀬村)では、神功皇后の両親である父 息長宿禰王(オキナガノスクネ)と母 葛城高額比売命(カツラギノタカヌカヒメノミコト)が住んでいたと考えられる(神功皇后もそこで産まれた?)佐賀県の北山ダム周辺の神社とそこに注ぐ初瀬川一帯を訪ねます(勿論、このブログを公開する時点では終了していますが)。


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野波神社縁起


今も何がしかの真実を求め、例え一人であっても丹念かつ静かに神社を訪ねておられる多くの方がおられます。

これに対して、村興し町興し世界遺産登録に動員される情けない人々、また、かつては古田武彦九州王朝論に惹きつけられ通説から決別したと思い込んでいる方にあっても、自らは何も調べようともせず、後世に記録を書残そうともせず、当然、纏まった古代も描けぬまま、所謂、「邪馬台国本」を何の系統性もなく読み勝手に思い込み、「邪馬台国論議」だけで良しとしている恥ずべき人々もおられるのです。

このような人々に比し、経験はないものの若くも現場に入ろうと思う人の方が余程正しい軌道に乗っているものと思います。

勿論、神社ばかりではありませんが、肥前の東部から太宰府、久留米、八女、熊本、筑豊、豊前、豊後

…には多くの古代史の謎が封印されています。その一つにこの神功皇后の生育地もあるのです。

詳しくは、スポット131 緊急提言 全国の九州王朝論者に告ぐ! 神功皇后は佐賀県の脊振山中で産まれた!“宮原誠一の「神社見聞諜」からの転載”をお読み頂きたいと思います。

まず、神功皇后の母親(神)とされる葛城高額比売命(カツラギノタカヌカヒメノミコト)ですが、三瀬村の東隣に脊振村があります(現佐賀県神埼市)。

ここには鹿路(ロクロ)という集落があり(コミュニティ・バスのバス停は「桂木」)一言主神社までがあるのです。

実はこの地こそ故)百嶋由一郎氏が、“昔はここも「高良」と呼ばれていた九州王朝の中心的な集落であり、初期の九州王朝の安全な中心地であった”と言われている場所なのです。

付近には、旧背振村永江(表記が長柄、永江、長江…だったか覚えていませんが)があり、そのまま、葛城長江曾都毘古(古事記)(カツラギノナガエソツヒコ)を思い起こさせます。

ソツヒコの「ソツ」は、佐賀県旧牛津町(現佐賀県小城市)の牛津(ソツ)かも知れません。

それだけに、その後裔である葛城高額比売命は旧脊振村、旧三瀬村一帯にいたと思われる葛城一族の後裔である可能性が否定できないのです。

sp140-6一方、父親(神)の息長宿禰王(オキナガノスクネ)はひぼろぎ逍遥にリンクされておられる、「沖永氏は秋永氏である。」の顛末記というサイトにおいて書かれていますが、息長一族が現久留米市田主丸町一帯に拠点を持っていた事は確実で、その位置関係を考えると信憑性が極めて高いのです。


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第一義的には宮原誠一の神社見聞牒 No.25 神功皇后生誕の地・佐賀背振の野波神社 をお読み頂きたいのですが、関連してひぼろぎ逍遥 066 葛城のナガエソツヒコは神埼市(旧脊振村)桂木にいた でも触れていますのでついでにお読み頂きたいと思います。

このように福岡市内から一時間ほどの場所にも古代史の重要なポイントが無造作に転がっているのです。

してみれば、馬鹿げた○○古代史の会といったところで通説派と変わり映えのしない話を聴くのは止めてトレッキングに参加されては如何でしょう。

オープン参加ですので直接参加もOKです。      当日の連絡先:09052892994 09062983254


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