496 賀茂族が守る子安神社 “佐賀県唐津市七山村桑原の子安神社”
20170619
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
佐賀県の脊振山系と言ってもイメージが湧かないと思いますが、福岡市~糸島市の南側に聳える脊振山系の南麓に三瀬村、富士町(いずれも現佐賀市)、七山村(現唐津市)がありました。
この旧富士町に子安神社、塩甞地蔵、淀姫神社、乳母神社が神水川(シオイガワ)の川沿い並んでいた事から(子安神社、塩甞地蔵は嘉瀬川ダムにより水没移転)、妊娠、出産、育児に絡む祭祀が集中している事から、長文の淀 姫(ヨドヒメ)を書き、太宰府地名研究会のHPにも掲載しましたが、今般、この妊娠、出産、育児に絡むプロジェクトが進んでいる事から、再度、子安神社に関して調べていると、旧七山村にも同名の子安神社があることに気付き急いで調べて見たのがこの神社でした。
富士町の下無津呂集落から峠を越え、桑原の集落に入ると子安神社は直ぐに見つかります。
今回、子安神社の件で初めて入った所ですが、本当の隠れ里のような集落で山に囲まれ外敵の侵入から守りやすい地形をしています。
始めに目についたのは同社の縁起でした。
祭神は、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇という八幡神社としては良くある祭神ですが、これが本来の祭神で無い事は一目で分かります。
我々がいう所の偽装八幡の類なのですが、社殿は手入れが行き届き、集落の尊崇の念が伝わって来るようです。
何故、そういえるかと言うと、以下の寄進者名を見たからでした。
半数は加茂さんがおられるのです。
加茂さんは、鴨とも賀茂とも書きますが、上賀茂、下賀茂神社を支えた人々であり、百嶋神社考古学では、中国の雲南省昆明から紅河を降りハロン湾沖の中国の海南島(現海南省)を経由し熊本から北上し筑後、肥前東部、日田、博多一帯に隈地名を持ち込んだ博多の櫛田神社の大幡主の一族=白族なのです。
彼らは、熊野系とか出雲系とか言われる神々を祀るのが通例で、八幡神はいわば押付けられた神々でしかなく、多分、旧七山村にある賀茂神社の祭神が本来の祭神のはずなのです。
クマノフスミ(イザナミ)、豊玉彦、アカルヒメ、大幡主、カミムスビ、崇神…あたりになるはずです。
海南島南西部に加茂という集落もありますが、黎族、白族が住むエリアです。
加茂さんが数多くお住まいの桑原集落
元々、桑原という地名は方々にあるもので、桑田、桑原、桑野、桑島、桑名…は桑を植え、蚕を養い、絹を作り、絹織物を持って財力を蓄えた秦氏か、後から入った秦人の太秦系の人々なのです。
だからこそ、京都には繊維関係、染色関係の産業が存在し、上賀茂神社(崇神天皇系)、下賀茂神社(ヤタガラス系)が存在するのです。
この桑原にもかつては桑の木が植えられ、蚕が変われていた事でしょう。
以前はランダムに成立したものと考えていましたが、この桑原と加茂姓の密集を考えると、絹織物生産を支えたところは元々白族系の集落である事が見えて来ました。
では、入れ替えられた祭神とは何だったのでしょうか?
黒尾大明神は武内宿祢なのでしょうか?