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507 青長谷(アオバセ)“山陰の日本海岸に延びる青地名” 山口県編

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507 青長谷(アオバセ)“山陰の日本海岸に延びる青地名” 山口県編

2017071520110921)再編集

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


古代から中近世においても主として海の民が住み着いたところでは、実際に水葬が行われていたのではないか…として青地名を世に問うたのは民俗学者の谷川健一氏でしたが、この青地名は単に『日本の地名』(岩波新書)に書かれたいくつかのものだけではありません。

普通の道路地図ぐらいではなかなか分からないのですが、現地を踏み小字単位の調査を行うと多くの青地名を拾い出すことができるのです。

写真は青長谷(アオバセ)と呼ばれていますが、このことについては後にまわすとして、ここでは山陰の青地名について簡単にふれておきたいと思います。


507-1

もちろん、青の付くものが全て青地名という訳ではありません。

典型的なのは青葉台、青山台といったもので、住宅分譲地に良く付けられるものです。

これらのものは排除するとしても、水葬はそもそも○○台や○○丘では行われないのであって、海岸部の島や岬を中心に、平地ではあっても古代の海や湖で汀線に近い土地、大河川の合流地、村境といった人の通常人の住まない辺鄙なところになるでしょう。また、近くに住吉、粟島…といった海人族が奉祭する神社があることも指標になるかもしれません。

安曇族が諏訪に入っているように、山中の川や湖にも散見されるのです。

いくつかのバリエーションがあります。青木、青山、青野、青島はもとより、粟生、阿保、安保…といった表記の違うものもありますが、やはり多いのは、直接、青が付くものです。

このことも何かを意味しているようですが、水葬が海岸部に集中していることから単純に青い海の色に引きずられているだけなのかも知れません。


山陰本線に沿って


単線でのんびりした旅ができる山陰本線は下関の北、幡生駅から分岐します。まず、川棚温泉駅の西、涌田漁港の先に真崎という岬が西に伸びていますが、そこに青井古墳群があります。ただの岩塊があるだけの土地であることから青井は水路とか言った物でない事は明らかです。どのように考えてもこの青井という意味は古墳群のことを青井と呼んでいるとしか思えません。

次に油谷湾に面して粟野駅があり粟野川が注いでいます。この一帯は農耕地に乏しく、上流に杣地という地名があるように川沿いに木材を流していたようにも思えます。当然、このような場所は候補になります。

あこがれの川尻岬のある向津具(ムカツク)半島の付け根に青村があります。日本海面した山の上の開拓集落だけに始めは無視していたのですが、海岸まで青村だと聴きつけて考えが変わりました。もともと海岸地名の青の上に入植が行われて青村と呼ばれたことが想像できたからです。

仙崎漁港の沖の青海島については既に別稿を書いていますのでここでは取り上げません。

長門市駅を過ぎると長門三隈に入ります。粟良ケ浜と大粟という岬が拾えますが調査はこれからです。

普通、長門から萩に移動するには国道191号線を利用されるでしょうが、山陰本線に沿って走る旧道の県道64号線に入ると三見駅と玉江駅の間に青長谷という地名を発見しました。6万分の1の道路地図では確認できませんが、カーナビで見つけました。踏切の名称が青長谷第2踏切、青長谷第3踏切という表示でも確認できます。長谷は当て字であり、地名の意味は恐らく青葉の瀬のはずです。

萩の市街地を抜けさらに東に進むと左手に嫁泣漁港が見えてきます。さらに進むと国道191号線が海岸を走り始める辺りに古くは汀線上と思えるところに夥しい墓が並んでいます。恐らく、かつては流すままに任せた流し墓を思わせるものが見られます。水葬が埋墓に移行する中間の形態のなごりではないかと思っています。

青長谷地名はこのような場所には青地名があってもおかしくはないはずだという見込みで入り実際に発見しただけに、個人的には喜びの大きいものでした。出雲半島北岸に多くの青木島を確認したことから、山口県の北岸にもある程度拾えるのではないかと考えたものでした。鳥取県の青谷上寺地遺跡などの存在と合わせ少なくとも山陰全域の海岸部には水葬が一般的であった時代が存在したのではないかと考えるのです。


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県道64号線萩市青長谷


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山陰本線玉江駅の西にも汀線ぎりぎりに密集した墓があります。


507-6

今回は鳥取県の青谷上寺地遺跡背後地の巨大墓地に刺激を受け、山口県の日本海岸はどうかを探っただけのものでしたが、地図にない青長谷を発見し関門海峡から兵庫県の手前まで多くの青地名が確認できることが分かりました。海岸部を中心に見てきましたが、島根県に入ると、内陸部にも多くの青地名があります。次回、島根県編ではこれにもふれてみたいと思います。


谷川健一の「青」論


 詳しくは原書その他に当たられるとして、ここでは簡単に引用させて頂きます。


 …沖縄では青の島は死者の葬られた島につけられた名前である。習俗の中で葬制はもっとも変化しにくいものである。もし本土の海岸や湖沼に「青」を冠した地名があり、そこが埋葬地と関係があり、また、海人の生活をいとなんでいるならば、南方渡来の民族が移動して、本土の海辺部に定着した痕跡をたしかめる手がかりを得るのではないかと私は考えた。…


…たとえば鳥取市の西にあたる湖山池(こやま)の南岸には、青島が浮かんでいる。そこは縄文、弥生、古墳期にわたる遺物を出土している小島である。この湖山池には江戸時代に水が汚されるという理由から、火葬の灰を流すことを禁じた法令が出たといわれている。つまり、青島がかつては水葬の地であったことを暗示させる風習が江戸時代までつづいていた。湖山池より更に西の東郷池の浅津(あそうず)ではかつて墓のない村が八百戸もあり、火葬したのちに遺骨の一部を残して他の遺骨や灰を東郷池に捨てたという。田中新次郎はこれを水葬の名残と見ている。…


『日本の地名』(岩波新書)から“沖縄の青の島”


…対馬の西海岸にある青海(おうみ)という集落では、埋め墓は波打ち際にあり、詣り墓、供養する石塔は、すぐそばのお寺にある。したがって、死体そのものは波にさらわれていくのに任せるのである。…


新著『民俗学の愉楽』(現代書館)から“青の島とようどれ”


507-7

私もこの地を踏むまでは、地名から考えて、かつては水葬が行われていた可能性があり、少なくとも川の合流部か古代の汀線辺りに何らかの痕跡を拾えるのではないかと思っていた程度でした。

しかし、最後に驚くべき光景を見てこの旅を終えることになるのですが、山陰はやはり青地名だらけであることに感慨を深くした旅でした。    

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