509
旦 過(タンガ)
20170715(20120720)再編集
太宰府地名研究会 古川 清久
良く知られていても、意味が知られていない地名があります。
その一つが、小倉北区の旦過市場の「旦過」かも知れません。
もちろん、仏教用語であることから、とりわけ禅宗僧侶は知っておられるとは思いますが、まずは、大辞淋を見てみます。
【旦過】
〔夕に来て早朝に去るの意〕
① 禅宗で、行脚僧(あんぎゃそう)が宿泊すること。また、その宿泊所。
② 禅宗で、長期の修行に来た僧を、数日定められた部屋で座禅させること。
と、あります。
良く知られてはいるものの、意味の分らない地名の代表のような「旦過」は、かなりの広がりを持っているのです。
島根県というよりも出雲の二ノ宮「佐陀神社」に近い松江市鹿島町北講部に「旦過」があります。
佐陀神社は真夜中の暗闇で行なわれる「カラサデ」神事で有名な神集まりの地ですが、佐陀神社や目の神様一畑薬師に参詣する多くの人々が通り過ぎていったことが考えられそうです。
近いところでは、福岡市西区今津の旦過、同じく姪浜にも旦過町が、東区志賀島にも旦過町などがあるのですが、このことについて詳しく書かれた本があります。九州大学大学院比較文化研究院教授(当時)の服部英雄教授による、『地名のたのしみ』角川ソフィア文庫です。
旦過地名について25頁を割いておられますので、手に入れられる方はぜひ読んで頂きたいと思います。
禅宗に関する地名とはいえ、四国の遍路道にも数多く拾えるようですので、中世以降、人の動きが多くなるに従い、
字面通り、カプセル・ホテルのような、一夜の簡易宿泊所のような意味にも使われるようになり、そこに集まる人々への食料、衣料の供給場としての市場が現在まで繋がっていると考えれば、この商店街で買い物する楽しみが多少増すことは間違いないでしょう。
地図を見れば分りますが、紫川東岸の魚町、馬借、船場町、古船場町、鍛冶屋町、紺屋町という地名が集中する繁華の地だけに、多くの民衆、旅人、役人、商人、博労、遊女、僧侶、盗人、逃亡者、身障者、狂人、行倒れの不幸な人達が蠢く姿が、今でも眼前に浮んでくるようです。
文庫本ですので、ぜひ、購入の上お読み下さい。
馬借、船場町という地名は、さながら現代版交通ターミナルセンターといったところでしょうが、「駄賃」という言葉が現代でも生きているように、馬借は、馬喰町、博労町と同様の地名と思われます。
船場町は堆積による陸化の進展に伴い古船場町から、動き、前出しされたものでしょう。
紺屋(こうや)町も染色業者、衣料関係者の町ですので、鍛冶町など全てが揃ってますね。
添付資料24葉(省略)