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512 兵庫県養父市~朝来市に掛けての若宮神社群 “兵庫県養父市大屋町の若宮神社”

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512 兵庫県養父市~朝来市に掛けての若宮神社群 “兵庫県養父市大屋町の若宮神社”

20170806

太宰府地名研究会 古川 清久


 この辺りの話についてはあまり展開していないのですが、生前、百嶋先生は“九州王朝は但馬に移動している”と言われていました。この話を聴いて以来、ここ七~八年の間何度となく但馬に入って来ました。

不完全ながらもこれを伝えなければ後世に残せないことから重い腰をあげて少しずつでも始めようと思うものです。

 白村江の戦での敗北による九州王朝の衰退は古代史ファンの最大の関心事であり、それを切っ掛けとして倭国と日本国の時代が登場し九州王朝倭国が消失していっただろう事は多くの九州王朝論者の間でも認識が深まっていると考えています。

 九州年号の観点からは701年(712年の「大長」説あり)辺りまで、宗教的権威としては九州の宗廟を宇佐に譲る749年(「高良玉垂宮神秘書」)まで九州王朝の痕跡が浚えるのですが、その間、南九州の頴娃辺りに避退した九州王朝の残存抵抗勢力の痕跡が最大720年頃まで確認できるようです。


『続日本紀』文武天皇四年条(西暦七〇〇)に、次のような記事がある。

薩摩の比売・久米・波豆、衣評督の衣君県、同じく助督弖自美、また肝衝の難波、これに従う肥人らが、武器を持って、覓国使刑部真木らをおどして物を奪おうとした。そこで、竺紫の惣領に勅して、犯罪の場合と同様に扱って罰を決めた。

最後の九州王朝 鹿児島県「大宮姫伝説」の分析 古賀達也


これに対して、“兵庫県但馬地方に九州王朝系氏族が大量に逃げ込んでいる!”といった想定をされていたようなのです。

 そもそも、一國の地名である但馬地方とは宗像大社の鎮座地である大字田島(佐賀県唐津市呼子沖の壁島に鎮座する田島神社)の置換えであり、この避退(一応、「追放」or「避退」不明なのですが…)に宗像族が関与していただろう事はある程度想像が可能です。

 百嶋先生も但馬に入り多くの神社を見られていたようです。

九州にしかいないはずの神々がごっそりと持ち込まれている事、九州の特殊な神が主神として祀られている事などから祭神の背後に居たであろう氏族が見えておられたのです。

 先生は「九州の地名もごっそり持って来ていますし、九州の言葉で話しています…」とも言われており、これについては、養父市や朝来市だけでも、養父市は佐賀県鳥栖市の市役所の所在地である養父(現三養基郡、古代の肥前国養父郡)ですし、朝来市は福岡県朝倉市の朝倉(朝来)地名の移動であり、そもそも兵庫県養父市の市庁舎の傍の大字が朝倉である事は明らかでしょう。

 旧但馬國には、もう一つ城崎温泉の豊岡市があるのですが、これも北部九州の豊の国の岡(遠賀)の地名移動です。

肥前、筑前、筑後、豊…の人々が移動していると考えれば非常に分かり易いのではないでしょうか。

 それ以外にも大字単位、小字単位で見れば驚くほどの対応が認められますので、関心をお持ちの方は試みて見られては如何でしょうか。

 考えれば船による侵攻しかできなかった時代、畿内からは九州への倍の距離にもなる航路を安全に移動できなければ届かない但馬地方は、畿内大和から最も遠く、かつ九州から最も近い避退地だったのです。

 我々が想定している時代は、平城京(710)平安京の開発が始まる700年代の末(794)までの間であり、京都が中心になれば但馬は逆に危険になったのです。

512-1 地名を見る限り「好字令」が出された以降の好字二字表記のものであることから713年以降であることは理解しやすく、九州王朝の祭祀権が宇佐に奪われる749年(「高良玉垂宮神秘書」)以降、794年(平安京成立)までの時期に九州王朝の中枢部の一部が避退したのではないかと考えています。


 前置きが長くなりましたが、この問題については、いずれ、「但馬」として書く事として、本題に入りましょう。

 今回、鳥取市の南の八頭町、若桜町から養父市大屋町に入ったのですが、この大屋町も過去5回は入り神社を見て廻っています。

 特に重要なのは御井神社で養父を中心に56社(実際には鳥取県の岩美町や島根県にもあり10社ぐらいはありそうですが)が確認でき、その中心的な神社がこの大屋にあるようなのです。


512-2

これについては以下を読んで頂く事として、ここでは若宮神社について触れたいと思います。


ひぼろぎ逍遥 131 兵庫県養父市大屋町の御井神社 “ 突然始まった周防から丹後の神社調査 ④ ”


養父市大屋町由良に若宮神社がありますが、実は朝来市にも二社あり、今回はこの三社を中心に見て廻ったのでした。


養父市大屋町の若宮神社


 この間何度も入って来た養父市ですが、御井神社の調査に重点を置いていた事から若宮神社はパスしてきました。

 しかし、若宮神社が高良玉垂命を祀る高良神社(玉垂宮、高良社、高良宮…)とセットで祀られる九州王朝の最期の天皇である仁徳天皇を祀るものであるとの確信を得たことから、改めて但馬における分布を確認する作業に入ったものです。

 勿論、これを応神とするのは宇佐の権威が広く及んで以降の祭神の入替に違いなく、事実、この若宮もそのように扱われているはずです。本物の応神なら無格社扱いにはなっていないでしょう。


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若宮神社 カーナビ検索 兵庫県養父市大屋町中358


512-4

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