Quantcast
Channel: ひぼろぎ逍遥
Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

513 朝来市を望む標高800メートルの山上神社 “兵庫県朝来市の青倉神社”

$
0
0

513 朝来市を望む標高800メートルの山上神社 “兵庫県朝来市の青倉神社”

20170807

太宰府地名研究会 古川 清久


 何度も足を運んでいる但馬地方ですが、今回は朝来市を中心に神社を見て廻っています。

 その中で天空の城ならぬ天空の神社を見ようと林道を登り始めました。

 この神社が如何なるものであるかは、現地に入るまで、また、社殿に入って以降も良く分かりませんでした。

しかし一から分からない神社を解読するのも面白いもので、当然の避けて通れぬ任務と考えています。

 その神社とは朝来市伊由市場から伊由谷川沿いに登って行く右手の高峰青倉山の山頂に近い所に鎮座する青倉神社です。


513-1
513-2

山上神社の入口にはかなりの広さを持つ駐車場がありました。

既にお二人の参拝者がおられ、開口一番「佐賀から来られたのですか?」(車両ナンバーは佐賀ですので)と不思議に思われたのでしょう。関西の某大手家電メーカーのOBで新しい会社を興された方(社長)達で同社の発展を祈願しての訪問だったようです。

初対面の短い話ですのでそれ以上の事は分かりません。しかし、大阪からおいでになったのですから、それなりに名の通った神社として理解する必要はあるでしょう。

さて敬愛するHP「玄松子」氏はこのように書かれています。


兵庫県朝来市にある。播但線・青倉駅の東5Kmほどの青倉山(811m)中腹に鎮座。青倉駅前の交差点に、当社の大鳥居が立っている。参拝が午前中だったため、西向きの鳥居の写真が、逆光になってしまった。その鳥居から、伊由谷川に沿って526号線を東へ。川上あたりに青倉山へ通じる林道入口があるので林道をそのまま登っていくと当社前の駐車場に到着する。駐車場脇にも鳥居が建っており、参道を歩いていくと境内に到着。社殿は階段の上にあり、階段途中には青倉山登山口があるが、登山は嫌いなので無視。階段を上りつめると大きな社殿。社殿内に入ると、正面には岩肌があるだけ。左右にある階段を上ると神殿。階下に見えた岩の上に神殿があり、神殿の奥には岩の上部がある。つまり当社の社殿は、御神体であろ巨石に寄り添うように立っている。社殿の右手には、御神体の裏から湧き出る霊水があり目の神様として信仰されている。創祀年代は不詳。納座にある善隆寺の奥の院とされている。一説に、伊由市場鎮座の伊由神社の分霊を祀るという。が、位置的には、伊由神社の奥宮に相当するのではないだろうか。
あるいは、伊由市場の伊由神社が、当社の遥拝所や里宮なのかもしれない。
そんな印象。御神体の巨石から沸き出す霊水への崇拝から「
和久産果神」を御祭神とし湯(伊由)という社号を残すことになったのではないだろうか。善隆寺の奥の院とされているためか著名な神社なのに 『兵庫県神社誌』 には当社の記載がない。ただし、伊由神社の項には「特選神名牒」の式内社・伊由神社の説明として「今按式内神社道志流倍に此社能座村小手巻社又青倉明神など云とも當らず市場村と山内村の間なる大森明神なる事疑なし」と記載されている。この青倉明神が当社で、大森明神は現・伊由神社つまり、当社を式内社・伊由神社とする説があったようだ。 御神体の巨石は、横から見るとモアイ像に良く似ている。参拝者は、モアイ像の後頭部を拝んでいる感じを想像すると、ちょっと面白い。巨石の横には幾つかの祠があるが詳細は不明。


青倉山からの水を受ける伊由谷川河畔に伊由神社があり、青倉神社の祭神が分からないとしても伊由神社との関係を考える事には合理性があるでしょう。この点玄松子氏の説に全面的に賛成せざるを得ません。

青倉神社を踏むと直ぐに天照大御神が祀っている事が確認できました。

しかし、これは後世(恐らく明治以降)の付会と考えるため採りません。と、言うよりも青倉神社とは伊由神社の上宮と考える方がよほど分かり易いのです。

青倉神社に於ける祭神が不明な以上当面この線上に祭神を考える以外に方法はないようです。「兵庫県神社誌」に同社の記載がない以上そうせざるを得ないのです。伊由神社正面にある播但線の駅名も「青倉」です。新たな事実が把握できれば、その時には軌道修正する事にしたいと思います。

513-3

伊由神社境内に置かれた青倉神社への案内板


 では、伊由神社の祭神を考える事にしましょう。

今回は手掛かりが全くない事から敬愛するHP「玄松子」氏のサイトに多くを依存して祭神の解読を行っていますが、この朝来一帯の神社の分布状況から考えてもそれほど大きく外れてはいないはずです。

実は、もう一つの手掛かりを現地で手に入れました。


513-4

これは青倉神社の境内で見つけた瓦の欠片ですが、これだけでこの神社の性格の一部が見えて来ます。それは亀甲紋章を使う氏族の奉斎する神社である事です。

一般的にといっても一人二人が言いだして広がった俗説でしかないのですが、この亀甲紋章は大国主命=出雲大社が起源であるといった話が今尚大手を振って広がっています。

これはとんでもない誤りで、大国主命とは大山祗(トルコ系匈奴)の子(母神は大幡主の妹)であり、亀甲紋章とは、この大幡主系、天御中主系氏族のシンボルなのです。

天御中主命~大幡主命(博多の櫛田神社の主神)~大国主命(経津主…)へと「主」という尊称が継承され通底している事でもお分かり頂けるでしょう。

この瓦の欠片の亀甲の内側のデザインは見たことがないのですが、亀甲紋は大幡主系を意味しており、その線上に祭神を探る事ができるのです。では再び玄松子氏に依拠しますが伊由神社を考えましょう。


式内社 但馬國朝來郡 伊由神社 旧村社

御祭神 稚産霊命 あるいは 少彦名命


兵庫県朝来市にある。播但線・青倉駅の南東1Kmほどの伊由市場に鎮座。青倉駅から円山川を越え、312号線を超えて526号線を進むと道路の南側に境内がある。

木製鳥居の脇には「式内 伊由神社」と刻まれた筆のような変わった形の社号標。鳥居をくぐると境内の奥に塚のような場所がありその上に社殿が並んでいる。中央には、覆屋に納まった本殿。その左右には、同じく覆屋に納まった境内社がある。本殿は「こけら葺」で、扁額には「正一位大森大明神」とある。創祀年代は不詳。 式内社・伊由神社の論社となっている古社。扁額にある通り、大森大明神とも呼ばれているようだ。

祭神は稚産霊命。一説には、「伊由」は「湯」の意味であり湯神社が変形したものと考え、各地の温泉を祀った神社が、大名持命・少彦名命を祀っているように当社の祭神も、少彦名命を祭神とする説もある。

境内社については詳細は不明。左手の覆屋には、小祠が2つ。右手の覆屋には、小祠が2つと石が祀られている。『兵庫県神社誌』には金比羅神社と寿賀神社の名が記載されており『平成祭データ』には、加えて護国の宮の名が載っている。…


和久産巣日神 わくむすびのかみ別名稚産霊神:わくむすびのかみ……

『古事記』では、伊邪那美神が火の神迦具土神を生んで陰所を焼き病床に伏せていたおり、尿より化生した弥都波能売神の次に生れた神が和久産巣日神。和久産巣日神は、伊勢皇太神宮の外宮の主祭神である豊受媛神を生んだ神とされている。字義からいうと和久は稚・若の意味で、産巣は生成の義であり、総じて穀物の生育を司る神。 糞尿の次に生まれたことは、肥料によって生まれたという意味だろう。

『日本書紀』では、伊邪那美神が火の神迦具土神を生んだ後、埴山姫と罔象女の神を生み、 埴山姫が軻遇突智(火神)と結婚して生れた神が稚産霊神。稚産霊神の頭から蚕と桑、臍から五穀が生じ、五穀起源の神話となっている。 火と土から生まれたことは、焼畑農業を意味しているのだろうか。


仮説)伊由神社の和久産巣日神とは何か


玄松子氏は“祭神は稚産霊命。一説には、「伊由」は「湯」の意味であり湯神社が変形したものと考え、各地の温泉を祀った神社が、大名持命・少彦名命を祀っているように当社の祭神も、少彦名命を祭神とする説もある。”とされています。

 確かに御湯神社に少彦名命を祭神とするものがあることは承知していますが、付近にはこれといった温泉もないことから、これについては保留します(というより採用しません)。

もちろん、少彦名命も大幡主の傘下で活動していた神様ではあるのですが…。

 勢い、和久産巣日神に目が向きます。「古事記」に於いて、“伊邪那美神が火の神迦具土神を生んで陰所を焼き病床に伏せていたおり、尿より化生した弥都波能売神の次に生れた神が和久産巣日神。和久産巣日神は、伊勢皇太神宮の外宮の主祭神である豊受媛神を生んだ神とされている。「日本書記」に於いても、“伊邪那美神が火の神迦具土神を生んだ後、埴山姫と罔象女の神を生み、埴山姫が軻遇突智(火神)と結婚して生れた神が稚産霊神。”とあります。


 百嶋由一郎神社考古学は「記」「紀」を聖典とはしませんので(百嶋由一郎氏は「古事記」の95%は嘘と言っていました)、もとより「記」「紀」と整合しない事に負い目はありません。

 しかし、重要なヒントは残されている訳で、これからある程度の解析ができそうに思えます。

 弥都波能売神の次に生れた神が和久産巣日神 とすれば、その周辺その世代を考えるべきでしょう。

 伊勢皇太神宮の外宮の主祭神である豊受媛神を生んだ神 とすれば、弥都波能売そのものになります。

 埴山姫が軻遇突智(火神)と結婚して生れた神が稚産霊神 とすれば、櫛稲田姫=スサノウの妃神になります。

 伊邪那美神が火の神迦具土神を生んだ後とありますが、伊邪那美は迦具土神=金山彦の母神ではなく妹神なのです。


513-5

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)赤枠は 弥都波能売神


また、「稚産霊神の頭から蚕と桑、臍から五穀が生じ、五穀起源の神話となっている。」ともされていますが、そこで頭に浮かぶのはオオゲツヒメです。

「古事記」におけるオオゲツヒメ、「日本書紀」におけるウケモチのような食物起源の神とされているとすれば、百嶋由一郎027系譜にオオケツヒメが出て来ます。そうですスサノウが追ったアカルヒメです。

和久産果神が誰であるかを考える時、今のところこのアカルヒメではないかと考えています。

 大幡主の子であり、豊玉彦=ヤタガラスの姉にあたるアカルヒメこそスサノウと別れて新羅から但馬に逃げ、後に姫島から宇佐に入ったと考えられる神であり、それを追ってきたアメノヒボコ=後のスサノウであり、そのスサノウを祀る神社こそ、但馬(豊岡市)の出石蕎麦で有名な出石神社なのです。


513-6

Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>