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514 朝来市の二つの若宮神社 “兵庫県朝来市の宮内と久田和の若宮神社”

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514 朝来市の二つの若宮神社 “兵庫県朝来市の宮内と久田和の若宮神社”

20170808

太宰府地名研究会 古川 清久


514-1朝来市に入り、殊更、若宮神社を見ようと言う思いが、九州王朝論者の中でもお分かりにならない方は多いと思いますが、九州王朝の本拠地の一つと考えている久留米市の高良大社(勿論、750年以降は近畿大和朝廷の支配下にあり、その系統の人々が送り込まれ続けているはずです)に残された「高良玉垂宮神秘書」の立場から古代の解読を進められた故)百嶋由一郎氏からは、最後の九州王朝系の天皇が高良玉垂命(実は第9代開化天皇)と仲哀死後の神功皇后との間に五人の皇子が産れその筆頭長子が仁徳天皇=大鷦鷯尊=実は九躰皇子の筆頭 斯礼賀志(シレカシ)命と聴いているのです(右「高良玉垂宮神秘書」)。

 残る4人は神功皇后の連子の可能性あり(古川注)

〔高良玉垂命と九人の皇子(九躰皇子)〕
高良玉垂命(初代)―――― 斯礼賀志命(しれかし)→隈氏(大善寺玉垂宮神職)へ続く物部保連(やすつら)|
           |―
朝日豊盛命(あさひとよもり →草壁(稲員)氏へ続く
           |――
暮日豊盛命(ゆうひとよもり)
           |――渕志命(ふちし)
           |――渓上命(たにがみ)
           |――那男美命(なをみ)
           |――坂本命(さかもと)
           |――安志奇命(あしき)
           |――安楽應寳秘命(あらをほひめ) 

※読みは「草壁氏系図(松延本)」によった。

九州王朝の築後遷宮 玉垂命と九州王朝の都 古賀達也『新・古代学』古田武彦とともに 第4集 1999年 新泉社


勿論、九州王朝論の本流の方々はそのような事は全く考えておられません。

 あくまでも仁徳は近畿大和朝廷の天皇と考えておられるはずですが、「高良玉垂宮神秘書」を重視する百嶋神社考古学の立場からは、仁徳を祀る若宮神社には何らかの九州王朝の痕跡が保存されている可能性を見ているのです。

 先に養父市大屋町の若宮神社をご紹介しましたが、今度は朝来市の二つの若宮神社です。

 結果から先に言えば特別な発見はありませんでした。ここでは存在を知って頂くだけに留め、今後の展開に繋ぎたいと思います。

 兵庫県朝来市宮内(地番不詳)養父駅に近い高田公民館前(外見は八幡宮)

 兵庫県朝来市和田山町久田和444

 実はこれ以外にも朝来市内には二つの若宮神社があります。

 兵庫県朝来市山東町柴3の若宮神社です。

 朝来市和田山町高生田656の若宮神社です。

今回こちらは確認できませんでしたので次に回す事なります。


514-2


514-3

百嶋由一郎極秘系譜(部分)


  兵庫県朝来市宮内(地番不詳)の若宮神社 養父駅に近い高田公民館前(外見は八幡宮)

514-4

ご覧の通り表看板は八幡宮です 祭神の入れ替えが容易に起こる事が分かりますね


514-5


514-7社殿を見る限り八幡の痕跡はありませんでした。

若宮に限らず養父市から朝来市に掛けて多くの社殿を見て来ましたが、我々が鞘殿と呼ぶ覆屋工法が多い事に気付きます。

この鞘殿は筑後物部の特徴と見ているもので、養父から朝来に掛けて展開した氏族の性格が垣間見えるものでした。


  兵庫県朝来市和田山町久田和444番 の若宮神社


514-8


これも鞘殿様式ですね 境内には矢崎稲荷大明神も


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