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スポット174 赤村の超巨大古墳をグーグル・アースで発見された方とリンクしました 早速「淀姫命」

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スポット174 赤村の超巨大古墳をグーグル・アースで発見された方とリンクしました 早速「淀姫命」を転載します

20180327


太宰府地名研究会 古川 清久


既に前ブログ 536 赤村の超巨大古墳発見の背景について “福岡県赤村内田の前方後円墳?”

ご紹介したsp176-5とリンクを張る事になりました。

 「古田史学の会」系の九州王朝論者であり「東海の会」のメンバーでもある石田泉城氏は、本物の研究者中の研究者であることはブログのタイトルを見るだけでも分かります。

 特に「淀姫」に関して長文を書いている当方としてはコダイアリーに掲載されている「淀姫命」を掲載させて頂くことにしました。簡潔ですが必要な事は全て押えられており、どのようにして百嶋神社考古学の心臓部まで把握されているのか不明ですが、是非ともお読み頂きたいと思います。

 なお、当方の「淀姫」は太宰府地名研究会のHPから「淀姫」をお読み下さい。

では、コダイアリーの「淀姫命」をお読み下さい。以下。


「淀姫命」2017/8/31() 午後 10:44付け 石田泉城

これまで、高宮八幡宮の社伝、筑紫の磐余稚櫻宮や磐余池、磐瀬宮と朝倉橘広庭宮の関連、大津皇子の歌による筑紫の五十川村と曰佐村と譯語田舎、墨江中王に名などに関連して、第十七代履中が九州の天皇である可能性を探りました。

 さて、履中記の記事では、気になる地名が登場します。
 難波宮と石上神宮です。


 本坐難波宮之時、坐大嘗而爲豐明之時、於大御酒宇良宜而大御寢也。爾其弟墨江中王、欲取天皇、以火著大殿。於是、倭漢直之祖・阿知直、盜出而乘御馬令幸於倭。故到于多遲比野而寤、詔「此間者何處。」爾阿知直白「墨江中王、火著大殿。故率逃於倭。」爾天皇歌曰、・・・・・・<歌の関係部分を省略>・・・・・故、上幸坐石上神宮也。
                                       
         (『古事記』)


 履中は、即位してからは磐余稚櫻宮にいたはずですが、この記事の難波宮は、父の仁徳の皇居である難波高津宮のことと思われます。

 この難波高津宮は、通説では、浪速高津宮(こうづぐう)(高津神社、大阪府大阪市中央区)としますが、先述のとおり筑紫・難波にも高津(たかつ)神社(福岡県筑紫郡那珂川町山田359-3)があり、その本宮は伏見神社本宮(福岡県那珂川町山田)です。

 ただ、仁徳記には、この説話以前に「大雀命、坐難波之高津宮、治天下也」とあり、また仁徳紀にも「都難波、是謂高津宮」と記述され、すでに仁徳の皇居については高津宮とされていますので、この履中記の難波宮を、高津宮と理解してよいのか、やや疑問が残りますが、一応、筑紫・難波の高津宮の本宮である伏見神社本宮としましょう。
 以前にも述べたように、筑紫・難波の高津神社の御祭神は、伏見神社本宮から頓宮された豊宇気毘売神とある一方、伏見神社本宮の由緒書きには、御祭神は、淀姫命を筆頭に、須佐之男命、大山祇神、神功皇后、武内宿禰とあり、豊宇気毘売神はありません。さらに、由緒書きには「淀姫命は神功皇后の姉姫で千珠満珠を求め給う神徳の姫で欽明天皇二十五年十一月朔日佐賀の県に川上大明神として鎮座されたが託宣によって此の地に遷座され・・・」とあり「淀姫命は神功皇后の姉」と書かれています。

 また「佐賀の川上大明神」を遷座されたとも記されます。その佐賀の川上大明神は、川の守護神である與止日女(よどひめ)大明神とされ、佐賀県佐賀市大和町大字川上にある與止日女(よどひめ)神社に祀られています。この神社は、淀姫神社、河上神社とも言われます。ただし、與止日女神社の由緒書きでは、「淀姫は神功皇后の」とされ、伏見神社本宮の由緒書きとは姉とで違っており混乱しています。

 一方、高津神社の御祭神である豊宇気毘売神については、食物・穀物を司る女神で、後に稲荷神と習合し同一視されるようになったので、稲荷神社である高津神社には、豊宇気毘売神が祀られるのは当然ともいえましょう。ただし、豊宇気毘売神は、淀姫命と同一ではないはずなので、やはりどこかで混乱しているように思われます。

 これに関して、百嶋神社考古学の神代系図(以下、百嶋神代系図)では、彦火火出見尊である山幸彦を父、豊玉姫を母として、その子が鵜草葺不合命になりますが、豊玉姫は子育てを放棄して竜宮に帰ってしまい、その代わりに異母妹の()玉依姫が子育てをします。鵜草葺不合命は、その育ての母である玉依姫と婚姻し、安曇磯良(表筒男)をもうけています。その安曇磯良の妻が、同父の鵜草葺不合命と奈留多姫の間に生まれた娘である豊姫(ゆたひめ)であり、玉姫・淀姫でもあります。

 したがって、鵜草葺不合命からすれば、豊玉姫が実母であって、()玉依姫は、乳母であり妻です。安曇磯良からすると豊玉姫が祖母であり()玉依姫が実母になります。また、豊姫(玉姫・淀姫)からすれば、()玉依姫は叔母であり義理の母という関係にありますので、豊玉姫と玉依姫は異なる人物であり、また彼女らは、豊姫(玉姫・淀姫)とも異なる人物です。
 なお、記紀では、神倭伊波礼琵古命(神武天皇)は鵜草葺不合命の子ですが、百嶋神代系図では、神武の別名の彦火火出見尊が鵜草葺不合命の父となりますので親子関係が逆転しているようです。
 整理すると次のようになります。


sp174-1

ここに登場する姉の豊玉姫、妹の玉依姫は、それぞれ満珠、干珠に擬えられ、安曇族の海神豊玉彦の娘とされますので潮の干満に大いに関わりがあります。伏見神社本宮の由緒書きでは、その祭神の淀姫命は、「神功皇后の姉姫で千珠満珠を求め給う」と記されていますので、淀姫命を姉の豊玉姫に充てています。しかし、與止日女(よどひめ)神社の由緒書きでは、「淀姫は神功皇后の」とされ、伏見神社本宮の由緒書きとは姉と妹で違っています。いずれにしても「千珠満珠」の点では、淀姫命は、豊玉姫玉依姫の両方にかかわるようです。

 さらに、百嶋神代系図では、(ゆた)は、玉姫や淀姫と同一で、鵜草葺不合命の娘であって、河上タケルの妹(表筒男・安曇礒良の妻)に当たります。豊姫は、後に與止日女神社(川上神社)の河上大明神になりますので、豊姫淀姫とする百嶋神代系図と合致します。これに従えば、伏見神社本宮の御祭神の淀姫命は、豊姫と同一ということになります。

 一方、頓宮した高津神社では、その祭神を豊宇気毘売神とします。一説に、淀姫は豊玉姫であるともいいますので、本宮で祀る淀姫命豊玉姫とみなして、その豊玉姫と、豊受姫とを混乱しているのではないかと想像します。百嶋神代系図では、豊受姫は豊玉姫のいとこであり、豊受姫と豊玉姫は神としての役割も違うので同一人物とはいえません。また、海の神である豊玉姫と川の神である淀姫は同一とはいえませんが、時代の変遷とともに「千珠満珠」に関わる神として、豊玉姫は、淀姫へと移行・集約化してきたようです。

 以上を総合すると、淀姫命は、「千珠満珠」に関わり、大津波や洪水を防ぐ女神全般を包括する神を意味しているのではないかと思います。
 そして、淀姫命は、豊玉姫や玉依姫にも広くあてられる女神になり、百嶋氏が示すとおり、淀姫命は、豊姫や玉姫にあてられたのだと思います。

 さて、この玉依姫に「千珠満珠」を授けた山幸彦は、百嶋神代系図では、彦火火出見であり、また饒速日でもあるとされます。

 饒速日は、物部氏の祖であり、古くより天皇に関わっています。

 次回は、履中と物部の関係に焦点をあてます。

以上で引用部分終わり


いずれにせよ数年前まで全く知られていなかった百嶋神社考古学が多少とも浸透している事は驚きです。

 ここで、佐賀県のど真ん中を南に流れ降る嘉瀬川の畔に鎮座(嘉瀬川の上流の旧富士町上無津呂には河上の淀姫神社に50年先行する縁起を持つ淀姫神社がある)し、佐賀県西部から長崎県に数多く分布する淀姫神社は何故か京都の伏見に飛んでいるのです。

そして、淀姫の「淀」が新大阪駅の正面を流れる淀川の語源となっているのです。


sp174-2

敬愛する神奈備による  祭神 高皇産靈神、豐玉姫命、速秋津姫神


由緒

山城国乙訓郡の式内社。

元は桂川の対岸の水垂町に鎮座していたが、淀川改宗工事に際して淀城跡北の現在地に移転。

淀姫社、水垂社、大荒木神社とも呼ばれていた。

 『三代実録』に、貞観元年(859)に、正六位上与度神を従五位下の叙したとある。

 『寺院神社大事典山城編』には、旧鎮座地は『和名抄』の乙訓郡榎本郷の地であったと云われ、従って豪族榎本連の居住地と思われ、一族の祖神として祀られたとの説があるとしている。『姓氏録』によれば、左京神別に榎本連があり、道臣命十世孫佐弖彦之後也とある。大伴氏の系統だと高皇産靈神より発していることになる。

社伝によれば、応和年中(961~964)千観内供が肥前国佐賀郡の河上神を勧請したことに始まるとされている。祭神の一の豊玉姫の説明であろう。


殆どの淀姫神社を実際に踏んだものとしては、何故、東の伏見に一社だけ飛んでいるのかという事が気になります。

ただ、糸島半島の桜井神社には淀姫神社の神額が残っており、元は淀姫であった事を思わせます。

また、これは最近発見したのですが、島根県石見八幡宮(石見銀山にも近い太田市)にも立派な境内社が存在する事を確認した事から、東方にもまだ存在する可能性は否定できません。

ただ、この程度ではピースが少な過ぎて、如何なる氏族が如何なる意図で淀姫祭祀を持ち出したのかという問題は解明できないでしょう。

百嶋神社考古学ではオウスノミコトに誅殺された河上タケルの妹の淀姫(ヨド、ヨト、ユタ⇔「豊」)こそが豊姫とされ安曇礒羅=表筒男命となるのですが、ここで、底筒男命たる開化天皇のお妃が神功皇后であるとすると、表筒男命と底筒男命を兄弟と見做し、淀姫=豊姫(ユタヒメ=ユタカヒメ)を神功皇后の妹とか姉とかする混乱が生じているものと理解しています。


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する神代系譜、音声CD、手書きデータ・スキャンニングDVDを必要とされる方は09062983254までご連絡下さい。


ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は現在二本立てブログで日量11001200件(年間45万件 来年は50万件だ!)のアクセスがありますが、恐らくグループ全体では最低でも年間200万件のアクセスはあるでしょう。


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本当にようやくですが、青森~東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。


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