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215(後) 求菩提山岳修験の残照 “求菩提山 宝地院との偶然の接触から” 

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215(後) 求菩提山岳修験の残照 “求菩提山 宝地院との偶然の接触から” 


215(前) 求菩提山岳修験の残照 “求菩提山 宝地院との偶然の接触から”  の続きになります。


八天神社に関して、冒頭に「祭神は、火之迦具突知大神・建速須佐之男大神・火の神に属される神々様です」を引用しましたが、火之迦具突知大神とは秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ金山彦=金鎖大神の事であり、その金山彦と姻戚関係を結んだ白族(白川伯王)の大幡主、その子である豊玉彦=ヤタガラスも同族に成る訳です。

と、ここまでは認識していたのですが、今回の 求菩提山 宝地院(九州本院) の御法話の集まりに参加しても一向に山岳修験の話も聴けず、ただただ、高額商品(遠隔思念波通信費、結界のためのセラミック、究極の後戻り、スマホアプリ・グラビトン…)の販売の話ばかりにうんざりしていたのですが、唯一印象に残ったのは、盂蘭盆会(ウランバナ)の一環として、苅田町と小倉南区との境界に近い、苅田町西域山中にある白山多賀神社、及び青龍窟へ、そして高天原への送り盆(送り火)が行われていることでした。

実は、苅田町の白山多賀神社(そばには山王権現も)と青龍窟へはまだ訪問していないのですが、故)百嶋由一郎先生からは、「この青龍窟は全国の青龍大権現(権現とは神と仏とが一体化したもの)の本山であり、極めて重要なところだからぜひ行きなさい」「霊能者の多くがこの青龍窟だけは特に強い霊感を感じる…」と言われていたものでした。

多賀神社はイザナギ(昔氏)、イザナミ(白族)を祀るものですが、白山多賀となると、当然にも、表看板は白山姫=天御中主であり、白族主体の瀛(イン=秦の始皇帝の姻戚)氏の神社です。そのことを象徴するように、山の麓の地区には、白川小学校、白川公民館、白川郵便局、諏訪神社、貴船神社…があり、白族の拠点である事が一目瞭然のように分かるのです。

そもそも白山姫とは、天御中主の事です(「古事記」は男女の別はないとしていますが、勿論白山姫という女神なのであり、その夫は出雲大社の客人間に隠されていますが、ウマシアシカビヒコチなのです)。

求菩提山山岳修験と白山多賀神社さらには青龍大権現との深い関係の一端が垣間見えた思いがした瞬間でした。

勿論、同修験を問わず、山岳修験の多くが明治の狂信的吉田神道による神仏分離政策の犠牲になったのですが、神道、仏教を問わず、宗教はその時々の政権の在り様によって大きく揺さぶられ、あるものは領地を奪われ、あるものは祭祀権を奪われ、あるものは焼かれ、あるものは追放され、権力に振り回されてきたのです。その何れかの流れの中で求菩提山岳修験も古い時代に消されたのでしょうが、行橋の一角にこの一派を発見したのは新鮮な驚きでした。

多くの天台系の人々も古い時代に犠牲になったのですが、特に九州では寺領や後代にも檀家を失った天台系の寺院、一派が非常に目に付きます。これも、勿論、九州王朝から近畿大和朝廷への転換が遠因と考えています。

彼らは八天神社の様に竈神や火の神を祀るとして何がしかの寄付を得て祈祷寺や山法師として生き延びて来たのです。

これに対して多くの檀家を持ち寺受制度とその延長上にのうのうと存在し続けて来た多くの堕落した寺々が社会の劇的変容によって今や檀家消滅、従って寺と教団の壊滅へとひた走っているのです。

逆に言えば、祈祷寺、山法師系祈祷社として生き延びて来た者の一部が今後の社会に適応できるのです。

キリスト教原理主義者が多数派のアメリカに於いても、宗教の民営化とでも呼ぶべきネット・マーケティングと結びついた新興勢力の教団だけが勢力を拡大させています。その実態は宗教ビジネスです。

その点、戦争の民営化としての現代戦=テロとの戦いという公共事業化された戦争です。


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百嶋由一郎手書き資料より


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洞口ホールには、豊玉姫を祀る祭壇が残っています。この豊玉姫は宗像大社のタゴリヒメ=タゴリ・ミホ(田心姫)のことですね。                      苅田町HPより画像借用


竹中、小泉という売国奴コンビの跳梁跋扈以降顕著になりましたが、日本も国家自体がアメリカに売り飛ばされている状態にあり、所詮、宗教も商品とされ、商品と共に拡大し生き延びる時代になったのでしょう。買いたい人は買えば良い、騙されたい人は騙されれば良い、そこに希望と後ろめたさ(水子供養も金儲け…)の免罪=癒しが得られるのであれば…。

信じる者は救われるのであり、同時に、信じる者は足を掬われるのです。

当方は、尚、多くの神社を訪問し続けていますが、決して神信心などからではない事だけが唯一の救いかも知れません。

同行の二人の霊能者のうち、ウイグル系のK女史は霊障からか急に気分が悪くなり車に戻り、もう一人の隣国の某大統領似の新羅系女史は白山多賀神社や青龍窟には足も気も向かないそうですから、そのうち単独で訪問する事になりそうです。

特に興味があるのは、白山多賀神社そばにある山王権現社(大山咋=佐田大神)の在り様です。


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青龍窟(青円)    白山多賀神社(緑円)


※画像クリックで拡大表示
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百嶋最終神代系譜の一部


宝地院で非常に面白かったのはセミナーの進行役を務めた女性の中に一人の首長族を発見した事です。

明らかに首長族なのですが、このタイプの女性にあったのはこれで二度目です。

「究極の後戻り」ならぬ「先祖帰り」ですが、ビルマ、タイに住む少数民族で自称カヤン族とするチベット系民族とされています。

もっとも、カヤン族の首が長いのは遺伝ではなく矯正ですので、民族云々の議論は不当ですね。深謝。


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