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217 阿蘇高森の草部吉見神(春日大神=建御雷之男神、武甕槌神)の御先祖の写真をお見せします

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217 阿蘇高森の草部吉見神(春日大神=建御雷之男神、武甕槌神)の御先祖の写真をお見せします

20150616

久留米地名研究会 古川 清久

百嶋神社考古学の真髄が残されていると考えている手書資料のスキャニング作業をしていると、比較的鮮明な多(オオ)大将軍の写真が出てきました。

これまで草部吉見神社に関して多くを書いていますが、画像がそれほどではなかったため保留してきましたが、今回、公開することにします。

阿蘇の草部吉見に象徴される“ミミ”という名を持つ人々、ヒコヤイミミ、カムヤイミミ、アメノオシホミミ、カムヌナカワミミ、タギシミミ…の人々は雲南省麗江から入って来た黎(レイ)族=ミミ族であり、海南島の南西岸などに一時身を置き、黒潮に乗って、天草の苓北(レイホク)、不知火海、有明海沿岸に入り、阿蘇に入って来た…と言う話をしてきました。

この多(オオ)大将軍の像は雲南省麗江にあるもので、百嶋先生は現地に何度も行かれ、現地伝承、文献を調べた上で、これが阿蘇氏のかなりの部分を形成したビルマ・タイ系の祖先であると判断されたようです。


217-1

現地には現在も三つの支那地名(雲南省に支那が2、ビルマに密支那=ミッチーナ、ミートキーナが1)が存在し、麗江市内にも支那城があるというのです。

 この、百嶋先生が撮影された写真を見ると次の事が分かります。

一般的に、北方騎馬民族の武器である剣(ケン)、雑穀堅果落葉樹民族の武器である戈(カ)に対して、照葉樹林帯に住む民族は動物を狩りする槍(ヤリ)の矛(ホコ)を使うと言われますが、どうやらこの武器も倭人の矛(ホコ)のようです。

三国志「魏志」東伝倭人条には「武器は矛、盾、木弓、竹矢…風俗は朱崖但耳(海南島)と同じ…」とあるのです。

また、馬にまたがっており、騎馬戦を得意とする戦闘集団であった事が伺えます。

阿蘇氏も、後に中央(近畿大和)に展開しますが、移動した分家の阿蘇氏は、「多」「宇治」を名乗り、本家は「阿蘇」を名乗ります。

 耳、支那、信濃、阿蘇、多、宇治は、阿蘇氏に関係があるものと一応考える価値があるものと思って下さい。

 信濃、甲斐と肥後が飛地のように納豆文化、馬肉食(馬刺)の文化が存在する事も気になっています。


217-2

雲南省麗江から阿蘇に入って来た黎族は、先住者であった高木大神(島原半島から阿蘇を経て高千穂三田井が中心領域)の傘下に入った事から草部(加耶ヤの部民=カヤカベ)の吉見と呼ばれたようです。


217-4

これまであまり公開していませんが、百嶋先生の手書き資料の中に入っている神代系譜であり、神代で

最も重要な神々(大国主、宗像三姫君、スサノウが書かれていませんが)が書かれています。神武と天照は弟姉ですから、天照=卑弥呼→豊受大神→卑弥呼宗女伊予と九州王朝大王との神聖政治が続いています。


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