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564 唐津市の七山村~糸島市二丈町は妙見を奉斎する人々の国であった

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564 唐津市の七山村~糸島市二丈町は妙見を奉斎する人々の国であった

20180106

太宰府地名研究会 古川 清久


 太宰府地名研究会では福岡、熊本、大分を中心に月例のトレッキングを行なっています。

 天候にも左右され、実質、一日を要するトレッキングに多くの人々を集め毎月三ケ所に於いて神社、古墳…等の調査を続ける事は、その下調べや資料作成、コース選定から昼食場所、トイレの手配と実に気を遣いますので、実際には車一台程度の機動的な調査がやりやすいのですが、それでは波及力が欠け、独りよがりの思い込みに陥る事になります。

 ただ、毎回、三ケ所でやるべきかどうかは疑問であって、最も重要なテーマを持つ一ケ所に集中し、周辺では次の主要テーマへの下調べ、基礎調査として小規模かつ有機的に継続する方が良いのではないかと考える様になりました。

 ただ、それは個人的な考えであって、メンバーの皆さんとの中で自ずと決まって来ることなのです。

 これまで、私自身の作業としては阿蘇氏を中心として多くを書いてきましたが、多少遅れて、妙見信仰、北辰信仰を持つ白族系の人々こそが列島の最重要勢力であった事が分かってきました。

 つまり、ウマシアシカビヒコヂ⇔天御中主命、白川伯王~大幡主~豊玉彦=ヤタガラスへと繋がる勢力、熊野三山、忌部、下賀茂神社、上賀茂神社、妙見神社、白山姫神社、北辰信仰…の人々こそが、雲南省麗江から海南島を経由して阿蘇に入って来た(その後東行し熊野へ)阿蘇氏と雲南省昆明から海南島を経由し熊本に入って来た(その後北上)白族とが列島の主要民族となってきた事が見えるのです。


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七山村馬川の馬川神社の三鳥居


 実は氷川を中心に八代から宇土に掛けての土地に展開したのが白族であり、この一帯には多くの白族系の神社が拾えるのです。

 一般的に秦氏と言われる人々が展開しているのは豊前であると言われますが、先住者として「瀛」の人々が展開している領域に、後から(秦が亡んで以降)「嬴」の一族(始皇帝の名は嬴政)が半島から入り京都に展開しているのです。

 少なくとも、不知火海東岸の八代~宇土と玄界灘に面した唐津から浜玉、七山、二丈の一帯が特に目立った白族の領域であった事が見えてきたのでした。

 してみると、九州の古代史でも重要なテーマである火の君が実はこの白族であったこと、糸島を支配していた一大率も含めた九州北岸の支配者もこの白族であったことが見えてきたのです。

 古代史でも文献史学だけで議論されている方には全く見えない世界が私達には見える様になってきたのです。そして、この白族でも最も重要な氏族の豊玉彦=ヤタガラス系の氏族こそが九州王朝を支え、橘氏=紀氏=石清水八幡宮系の人々であった事が分かって来るのです。たまにはトレッキング資料の一部をご覧に入れたいと思います。ただし今回の資料には神社の詳細については触れず場所だけを表しています。


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564-3半島から対馬、壱岐を経て東松浦半島に入った魏使は、潮に乗って東の博多湾に向かえたはずですが陸路を通ったとされます。そこに住み着いていた人々が誰だったかを考えます。二丈町から七山村に掛けての一帯が大幡主系=豊玉彦(下賀茂神社)、崇神天皇系(上賀茂神社)系の人々が住み着いていた場所である事を確認するためのものでした。二丈町については春のトレッキングとしますが、二回に分けて七山村を中心に糸島~唐津に掛けてがいかなる領域かを確認します。



564-92017
1217日 日曜日
玄海、太宰府地名研究会トレッキング二丈七山の生白山宮を探る!」① 


2018年 121日 日曜日
玄海、太宰府地名研究会トレッキング二丈七山の生白山宮を探る!」② 


中島 茂が選ぶ「七山村の白山宮を探る!トレッキング」1217


集合場所:唐津市七山村 鳴神の庄 
佐賀県唐津市七山滝川1048-3 0955-58-2077


訪問予定の神社


 仁部の上下岩屋神社 ② 桑原の子安神社(賀茂族が祀る) ③馬川の宗五郎神社(八面権現)

④ 加茂神社 外… 


564-4中島)09052892994 参加費、資料代500


古川清久が選ぶ「七山村の白山宮を探る!トレッキング」121


集合場所:唐津市七山村 鳴神の庄 
佐賀県唐津市七山滝川1048-3 0955-58-2077


訪問予定の神社


 荒川の妙見神社 ②藤川の賀茂神社 ③白木の白木神社 ④浜玉町今坂の武雄神社

 寒い時期ですので三社詣りが終了した時点でななの湯で休憩します。入館料自前 510

温泉に入る方はタオルを持参して下さい。


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現在、百嶋神代史研究会グループ全体の年間アクセス数は恐らく5070万件になるでしょう…

トレッキング注意事項 玄海、太宰府合同地名研究会(トレッキング)実際には55ポイントを巡りますが、どなたもどこかの神社には心惹かれるものがあると思います。最近は神社の祭事、経営が非常に難しくなっています。お賽銭を準備の上安全に留意され参拝して下さい。神社に関して何かご質問があれば09062983254 古川までご連絡下さい。参加申込等:090-52892994(中島)

 今回のテーマは二丈町から七山村に掛けての一帯が大幡主系=豊玉彦(下賀茂神社)、崇神天皇系(上賀茂神社)系の人々が住み着いていた場所である事を確認するためのものでした。七山村については正月以降のトレッキングとしますが、古代の糸島~唐津に掛けての一帯がいかなる領域かを確認します。

郷の郷土及び八ヶ村の宗社として崇敬せり。祭日は春季御田祭三月十九日,例祭十月十九日なり。


以下は12月の第1回トレッキングの現場地図


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桑原は蚕を飼っていたから桑原で秦の始皇帝の元で、生糸の生産、絹織物の生産を行っていた人々=秦の始皇帝と姻戚関係を持った一族と後には秦の人々も入って来たのであり、大陸のヘブライ系氏族がヤタガラスの一族=賀茂族でった事が地名でも分かるのです。彼らは蚕も持ってきたのです。

 馬川の宗五郎神社(八面権現)


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今回で旧七山村の10社近くを踏破し、この一帯が天御中主~白川伯王~大幡主~ヤタガラス~といった白族系、熊野系、忌部、白山姫系の神社、上賀茂、下賀茂系で占められている事が確認できると思います。

 良く魏志倭人伝の松浦(末羅国)上陸以降のルートについて、何故、目と鼻の先の糸島まで船で行かなかったのかといった議論がなされますが、むしろ逆で、東松浦半島~唐津~旧七山村or旧二丈町(こちらは二月か三月に行ないますが、二月は佐賀県小城市の神社を廻る事にするかも知れないため…)の一帯は全て、白族系の集落に占められている事に気付かされるのです。

 つまり、この地域に呼び込み歓迎しながら伊都国に送り込んだ可能性があるのではないかと考えられそうなのです。

 すると、神功皇后紀の玉島神社周辺での故事で知られる「玉島」という地名も豊玉彦、鴨玉依姫との関係で考えるべき事が分かってくるのです。

 今回、再度、桑原の子安神社を再訪しますが、桑原と言う地名も、桑の木を植え蚕の生産から生糸生産、絹織物生産…による太秦の人々、下賀茂上賀茂神社、全体として秦氏、京都の繊維産業と言ったものにまで想像が及んでくるのです。

 5月に考えている熊本県氷川町流域が白族(白山姫)系の地である事と併せ考える時、如何にこれらの人々の影響力が古代にも強かったのかが見えて来るのです。

 どうやら、倭国から日本国と言う古代国家の成立過程の全期間を通じて影響力を維持し続けて来た人々こそ、この地に最初に住み着いた人々だったのではないかと言う想いを強くするのです。

 勿論、文献史学として頭の中で夢想されるのは良いのですが、唐津から糸島までの間がこの白族系統の祭祀で埋め尽くされているという衝撃の事実に気付く時(こんなことは百嶋由一郎氏の外誰も気づいていなかったのですし、実際、伝えてもおられなかったのです)、神社調査など全くできない人々が古代史をあれこれ考える事の危険性に改めて考えさせられるのです。

 今後とも、この白族の神社の調査を続ける必要性は極めて高いものと認識しています。

 ここには、荒川も白木も仁部も松坂も藤川も滝川も浮嶽も…気になる地名が揃っているのです。




564-132018年新春三社詣りも再び古川清久の選んだ七山村

の白族系神社を廻ります。


少数でも本気で神社を調べようとする方には真実の古代史が見えて来るでしょう。

新春1月にも七山村の神社トレッキングを行ないますが、同地域でも、最も重要な賀茂神社、妙見宮、白木の白山宮を巡ります。七山村は天御中主命、大幡主、ヤタガラスの王国なのです。


緊急時連絡 09062983254

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