Quantcast
Channel: ひぼろぎ逍遥
Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

スポット188(前) 赤村の超巨大古墳 ⑩ 僭越ながらも卑弥呼の墓とお考えの方々に対して(中)

$
0
0

スポット188(前) 赤村の超巨大古墳 ⑩ 僭越ながらも卑弥呼の墓とお考えの方々に対して(中)

20180530

太宰府地名研究会 古川 清久


先に、スポット151 赤村の超巨大古墳発見の背景について “福岡県赤村内田の前方後円墳?”外をオンエアしています。


再掲

現在、グーグル・アースでも容易に見いだせる古墳にしか見えない福岡県赤村の巨大丘陵が、(あくまでも)仁徳陵とされる大山(大仙山)古墳に次ぐとか匹敵する超大型古墳ではないかとの話が持ち上がり、地域を揚げて盛り上がっています。


sp188-1

2018/03/20付 西日本新聞朝刊=

 今般の赤村の前方後円墳としか思えない巨大古墳状丘陵に関して、町興し村興し宜しく「卑弥呼の墓」といった噂が飛び交っているやにも聴き及んでいます。

 古代史の世界に多少とも関わった者として、地域振興のためのマヌーバとして、一時的に「卑弥呼の墓」…といったデマに近い話が流れる事が全く悪い事だとも思いませんが…(絹も鉄も出土しない奈良県桜井市の巻向遺跡や巻向古墳を卑弥呼の大城とか埋葬墓などとするような大嘘よりは余程真面なのですから)、この実に素人臭い卑弥呼の墳墓説には多少の気恥ずかしさを越え暴走にしか思えません。

 これについては通説派の考古学協会なども“どうせ素人ですから…”などと馬鹿にしきっている事でしょう。

行政や教育委員会や文化庁…といった悪の牙城が、これまで敵視続けて来た「九州王朝論」の探究などに踏み込むはずもなく、いずれはうやむやにしてしまう事でしょう。

ただ、卑弥呼の墓などといった説で大騒ぎしてしまう事は、通説派の揚げ足取りに手を貸す事にしかならないため、少しクール・ダウンの意味から石田さんのお話をご紹介する事にしました。

古田史学の会系の方なのですが、実際には下部組織の東海の会で活動されておられるようです。

 直接は元より、ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)からも入れますのでお試し下さい。


sp188-2

NEWSポストセブンの記事  2018/5/8() 午前 11:38


326日のNEWSポストセブンの記事の転載です。ただし、前方後円墳が卑弥呼の墓である可能性はほとんどないので勘違いしないように! 


福岡で卑弥呼の墓?発見か それでも調査の予定ない理由 2018.03.26 16:00


sp188-3

古代史最大の謎がついに解明か──。福岡県の赤村にある丘陵をめぐって、西日本新聞が報じた「『卑弥呼の古代史最大の謎がついに解明か──。福岡県の赤村にある丘陵をめぐって、西日本新聞が報じた「『卑弥呼の墓では』巨大な前方後円墳? 謎の丘陵」(320日付)という記事が大きな話題を呼んでいる。
〈全長は約450メートル。日本最大の前方後円墳『大山古墳』(堺市)の墳丘長に迫る大きさとあって、古代史ファンからは『卑弥呼の墓では?』といった期待の声も聞かれる〉
 地域住民などによる「豊の国古代史研究会」の調査では、後円部に当たる部分は直径約150メートルで、これは魏志倭人伝にある卑弥呼の墓の直径の記録とほぼ一致するのだという。
 卑弥呼が治めた邪馬台国の所在地については、長く九州か畿内かで論争が続いてきたが、奈良盆地の纏向(まきむく)遺跡と箸墓(はしはか)古墳の調査が進んだことにより、近年は畿内説を有力視する声が強まっていた。しかし、この丘陵は、九州説巻き返しの切り札になる可能性を秘めているという。
「福岡は志賀島で漢の皇帝から送られた金印が見つかるなど、古代の中心地だったことは間違いない。この丘陵がもし前方後円墳だということになれば、再び九州説の可能性が高まることになり、古代史ファンとしては夢のある話です」                      (歴史研究家の河合敦氏)


sp188-2

卑弥呼の墓? 巨大古墳? 注目すべき 宮原遺跡 •           2018/1/6() 午前 2:03

<復習と再考>仁徳陵で記したとおり、履中陵も「御陵在毛受也」「葬百舌鳥耳原陵」とあって、仁徳陵と同じく「モズ」に関わる地名のところ、すなわち物部一族の百舌鳥氏に関わるところです。

具体的には、北部九州の遠賀川流域、物部氏の本拠地です。

北部九州の香春町にある百舌鳥原の地名は、このあたりに、仁徳陵を始め、履中陵、反正陵があったことを想起させます。

 福岡県田川郡香春町には「河内王陵」と呼ばれる古墳があり、通称は「外輪崎古墳」とされています。被葬者は明らかではありませんが、宮内庁では陵墓参考地として「勾金陵墓参考地」(被葬候補者:第40代天武天皇 皇孫長親王王子河内王)として治定されています。ただし、この古墳は、6世紀後半の円墳とされます。

 とすると、天武の王子の時代である7世紀とは異なります。また、仁徳の時代とも合いません。いったい誰の古墳でしょうか。


<河内王陵>


sp188-4

Google mapによる。以下同じ。


ところが、香春町には、このほかにもっと注目すべき古墳があります。

 香春町教育委員会によれば、香原町の宮原遺跡(みやばるいせき)(福岡県田川郡香春町宮原大字採銅所4925)から、弥生の箱式石棺が4基のほか長生宜子銘内行花文鏡や壽如金石銘内行花文鏡等の青銅鏡、鉄剣(又は鉄刀)が出土していると報告されています。

 その出土地点には、次の写真にあるとおり、100m以上の大きさと思われる方円墳(前方後円墳)とおぼしき地形(以下「宮原古墳地形」と呼ぶ)がくっきり見てとれることから、築造時期や被葬者が気になるところです。

 左手前側が方円墳の円にあたるところで、方にあたる部分と共に開墾されています。


<宮原遺跡・宮原古墳地形>


sp188-5

さらに、この宮原遺跡の東にも、宮原古墳地形とは逆向きに方円墳らしき形状が認められます。こちらについては遺跡かどうかもわからず、調査がされていないようですが、こちらも注目されます。


<宮原古墳地形の東>


sp188-5

この南方には、さらに注目すべき古墳や古墳地形があります。次回、示します。

sp188-2

新聞記事「卑弥呼も供えた?モモ」                 2018/5/15() 午後 11:33


中日新聞 20180515日付 朝刊の記事


sp188-6

これがどうして邪馬壹國畿内説を補強することになるのでしょうか。

だいたい2010年に発掘したモモの種の年代調査に8年もかかるものなのでしょうか。今頃わかって新聞記事にしたのでしょうか。

九州と畿内

 纒向遺跡は大集落と言われながら、実際には、人の住む集落跡が確認されていません。また、現在確認されているのは、建物と土抗、弧文円板、鶏形木製品、土器などであって、その出土物の文化的水準は、吉野ケ里遺跡とは比べようもないほど低いです。

 纒向遺跡があたかも、卑弥呼と大いにかかわるような見出しですが、纒向遺跡では、朝鮮半島の遺物は、ほぼゼロです。半島との交流がない証拠です。とすれば卑彌呼とかかわらない遺跡だと思いますよ。

 少量の韓式系土器が出土されたとしますが、本当に朝鮮半島のものか不明であり、また少量であっては朝鮮半島との交流があったとはいえないでしょう。

 要するに、この記事の示すところは、2010年に発見されたモモの種が西暦180年前後のものと判明しただけであって、卑弥呼や邪馬壹國にかかわるとは全く思われません。

 纒向遺跡は、すでに100回以上の調査を実施しているものの、土器を中心とした遺物しか見つかっておらず、その土器も85%~90%は大和の土器で、一部に他の地域のものも含まれるということですね。

 関東から九州までの各地で作られた土器が纏向遺跡に集まっていると説明されると、纏向遺跡が日本列島の交流拠点であるかのように錯覚します。

 実際は、たとえば桜井市埋蔵文化財センターには、九州の土器は大分県出土の土器に似たかけらが展示されているのみです。どうみても纏向遺跡の外来系土器について、正確性を欠く情報を意図的に発表しているように思います。

 纏向遺跡では、祭祀で巫女が身に着ける勾玉や管玉などのアクセサリー類や銅鏡のほか、銅剣、鉄器などは発見されていません。

 これに対して、同時代の吉野ケ里遺跡では、勾玉や管玉などのアクセサリー類や銅鏡はもちろんのこと、鉄器、銅剣、織物、布製品など装飾品が種類、量ともに豊富であり、その差は歴然としています。

 また、吉野ケ里遺跡では、国内の他の地域や中国、朝鮮半島との交流、交易を示す遺物が数多く発見されており、はっきり言って、纏向遺跡は同時期の九州の遺跡より文化的に遅れており内容物も貧弱であり、とても邪馬壹國や卑彌呼とは関係するとは思えません。

新聞記事の「正確と公正」

 この新聞記事は、「正確と公正」をいう新聞倫理綱領に反していると思います。新聞倫理綱領にそって、「正確と公正」の立場から、近畿説と九州説の両方の意見を載せるべきでしょう。偏向報道や印象操作はやめましょう。

 「NHKNEWSWEB」では、邪馬壹國畿内説の桜井市纒向学研究センターの寺澤薫所長のコメントのほかに、”邪馬台国九州説の研究者「卑弥呼明確には結びつかず」 の小見出しをつけて、次の記事を載せています。

 邪馬台国が九州にあったとする説を唱える、佐賀女子短期大学の高島忠平名誉教授は、「参考になる研究成果だが、邪馬台国の所在地や卑弥呼と結びつく明確な材料はなく、今回の成果で論ずるのは無理があるのではないか」と話しています。

 これが報道の正しい姿だと思います。

 一応、「新聞倫理綱領」の一部を載せておきましょう。

日本新聞協会の新聞倫理綱領 2000(平成12)年621日制定

<正確と公正>

 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

<独立と寛容>

 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。




Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

Trending Articles