591 橘一族三分流の「牛嶋姓」の起源とは何か?
20180313
太宰府地名研究会 古川 清久
豊玉彦=ヤタガラスこそ橘一族であり、遠く雲南省昆明から海南島を経由して不知火海東岸に拠点を築き、熊本から福岡へと北上し、「隈」地名を残した氏族(大陸の白族)の後裔こそ、後の県犬養三千代から橘 諸兄(源平藤橘の「橘」)の一族なのであり、阿蘇氏と併せ九州王朝を支えた最重要氏族であることについてはこれまで何度となくお話ししてきました。
この奈良麻呂の変以降の藤原の圧迫によって零落した中級貴族の本流に橘 公業があります。
大荒れの中でしたが佐賀関からのフェリーで三崎に横断する途中で見た牛島 遠くに見えるのは四国
高島の北に牛島があることがお分かりになると思います
春一番に翻弄される中確認した牛島
この橘氏の本流は鎌倉期に佐賀県武雄市の杵島山西麓一帯(明治の橘村)に住み着いているのですが、橘 公業(キンナリ)の時代以降に主として渋江、牛島(牛嶋)、中村の三家に分かれているのです。
この三家の名称に多少の違和感を抱いていたのは私だけでしょうが、何故、この名称が使用されたのかが分からなかったのです。
しかし、橘 公業の一族が京都で平氏に着き従っていたものの何時しか頼朝に鞍替えし、東北にも転戦するなど論功行賞によって伊予に領地を得るものの後に肥前に入っている事を考えると、この地名のルーツを探そうという思いに駆られたのでした。
今般、伊予、土佐の調査が本格化してきた事から少し真面目に考えて見ようと思うのです。
中村はどこにでもある地名でもあり姓名なのですが…。牛島、渋江についてはそれほど一般的な地名ではないでしょう。
勿論、愛媛県伊予市中村があるように伊予にも中村は拾えます。
しかし、橘氏に繋がる「渋江」姓の起源となるような地名といったものが分からなければこのテーマは全く奏功しません。
「渋江」が地名だとして、意味は火山性で温泉起源の硫黄などが流れ込む(注ぐ)入江と言った意味であって、本来はそういった場所を探すべきなのかもしれませんが、未だに全く見えてこないのです。
一応、橘一族が雪崩れ込んだ伊予への調査が増えて来ることを考えながら、将来への仮説として「渋江」「牛島」地名と伊予との関係を絶えず考えておきたいと思うものです。
作業仮説
「渋江」地名拾い出し…
新潟県妙高市渋江町
宮城県遠田郡涌谷町渋江
富山県小矢部市渋江
埼玉県さいたま市岩槻区本町(旧:渋江)発祥。南北朝時代から記録のある地名
東京都葛飾区東立石付近(旧:渋江)から発祥。室町時代から記録のある地名