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スポット199(後) 赤村の超巨大古墳 ⑫ によって通説から離脱し始めた方々に出雲神話も再考を!

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スポット199(後) 赤村の超巨大古墳 ⑫ によって通説から離脱し始めた方々に出雲神話も再考を!

20180828

太宰府地名研究会 古川 清久


朝倉郡では平地に田神社、山手に山神社(大山祗神社)が数多く分布しています。そこで、「福岡県神社誌」で朝倉郡内の神社を調べると60社近い田神社が拾えます。ところが、何故か一社を除き、残り全てが無格社に落とされているのです。

 恐らく、この事が大国主の国譲りと関係しており、彦山に居た高木大神(高皇産霊神)から明け渡しを要求された国とは、この60社近い無格社が残る甘木~朝倉~杷木の一帯だったのです。

 さて、大国主命の国譲りの話はどなたも良くご存知ですが、国を明け渡し高木大神(高皇産霊尊)から天日隅宮を建ててもらい天穂日命に祀らせたとされています。


そこで、大国主命は、自らの国が見渡せる筑前町の東の端の日隅宮に住んだのであり、現在の大己貴神社とはその痕跡と考えるべきではないかと理解しています。

 百嶋神社考古学では、この天穂日命こそ田神様のお一人の大幡主(埴安命)になりますので話が繋がってきますね。

「天穂日命」が大幡主(埴安命)であることについては、ひぼろぎ逍遥 175 天穂日命(アメノホヒノミコト)とは」を併せてお読みください。

以前から、何故、筑前町と旧甘木市との境に大己貴神社が置かれているかが分からず奇妙に思ってきました。

普通なら、一定の領域の中心部若しくはその背後の高台といったところに置かれるはずなのですが、筑前町が朝倉市(旧甘木市)に突き出した先端のような場所に置かれているのです。

してみると、大国主の移転先が、故地(古地)が見える隣町(隣国)に置かれたと考えればすんなりと理解できるのです。これだけの事を念頭に置いてまずは弥永の田神社の新旧の神社縁起をお読みください。

お読みになれば分かるように、まず、現筑前町大字弥永に日隅宮という字があった(元々そこに大国主命の社があったと考えられそうですが、それが、国譲りの元宮があったという名残を持つ地名なのか?それとも国譲りの以前の宮があったという痕跡地名なのかは今のところ分かりません)事はまちがいないようです。

そうなると、やはり、甘木、朝倉の一帯が国譲りに関わる故地であるようです。最低でも、この筑前町弥永の田神社からそう遠くはない所に本当の出雲の日隅宮があったのではないかと考えられるのです。

ただ、22年当時の筑前町の教育委員会は、「日本書記」の日隅宮(大国主の国譲りに関わる重要な地名)とも考えられる重要な内容を積極的には触れたくはないようです(どうせ利権に乗っかった方々ですので)。

「出雲の国譲りの話が九州であるはずがない…」という通説に沿う当たらず障らずのお考えのようです。

普通なら、使えるものなら何でも利用して町興しに使ってしまうのが常なのですが、「日本書記」、朝廷、天皇…に繋ながるとなると、権力にひれ伏し尾を振り自己規制してしまうのです。

結局、九州王朝論の立場に立つものしかこの驚愕の事実を掘り下げる事はできないのでしょう。


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現在の神社縁起(上)平成22年以前の同社縁起(下)


出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。

大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)

高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)

所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲国風土記』出雲郡杵築郷)


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「天日隈宮」 “出雲大社”


神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲国風土記』楯縫郡)

崇神天皇607月、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)


ウイキペディア (20160626 23:00による


「出雲国風土記」 出雲郡 杵築郷 の 条

「八束水臣津野命の国引き給いし後に、天下(あめのした)造らしし大神の宮を奉らんとして、諸々の皇神(すめがみ)等、宮処(みやどころ)に参集(まいつど)ひて、杵築(きづき)給ひき。」

「出雲国風土記」 楯縫郡 郡名由来

「神魂命(かみむすひのみこと)詔りたまひしく、「五十足(いた)る天日栖宮(あめのひすみのみや)の縦横の御量(みはかり)は、千尋(ちひろ)の栲紲(たくなは)持ちて、百八十(ももやそ)結びに結び下(た)れて、此の天(あめ)の御量(みはかり)持ちて、天下(あめのした)造らしし大神の宮を造り奉(まつ)れ」と詔りたまいて・・・。」

記紀によれば、国譲りにより葦原中つ国を天孫に奉還した大国主命が、退いて幽冥(かくりよ)主宰の神となるにあたり、大神の住まう宮殿を造るよう求め、天照大神が諸々の神に命じ造営させたとありますが、「出雲国風土記」によれば、八束水臣津野命の国引き事業の後に神魂命(かみむすひのみこと)の命により、天御鳥命(あめのみとりのみこと)が造営したとあります。

いずれにせよ、風土記でも日本書紀でも古事記でも、豪壮・荘厳な宮だと記しています。

・・・平安初期の天禄元年(970年)に源為憲の著わした「口遊(くちずさみ)」にも、「雲太、和二、京三」と詠われています。 

 「出雲太郎、大和二郎、京三郎」の略で、大きい建物の順を説明するものだそうです。

「雲太」が、出雲国杵築明神神殿(出雲大社)で、「和二」が大和国の東大寺大仏殿、「京三」とは京都の宮城内にある大極殿だとされています。

大社の宮前の町に入る宇迦橋の所に、日本一高い大鳥居があり、町を通り抜けた所にある祓橋(はらいのはし)を渡ると、鬱蒼とした松原の続く長い長い参道があります。参拝者は参道の端を歩かなくてはいけません。真中は神々の通り道だからです。


参道の終わりに手水処があり、胴囲が六尺ある青銅の鳥居をくぐると境内です。境内にはこの正門と、東西それぞれに三つの門があり、古来から「七口門」と呼ばれています。

正面にある拝殿にかかる「注連縄(しめなわ)」は豪壮で、参拝者の目を奪い、「出雲大社といえば・・」と言われるシンボリックなものです。 出雲大社のシメ縄は、世の神社とは唯一正反対になっています。即ち、一般の神社では、綯始(ないはじめ)・・・[縄を綯う始め] を社殿に向かって右にし、綯終(ないおわり)を左にします。祭式としては、左右尊卑本末論に合致しますが、出雲大社のそれは左右が逆なのです。

その由来は、どこにも書き記されていませんので「謎」です。


sp199-8より
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これから筑前町現地の「日隅宮」跡地を探す作業に入らなければならないようです。

勿論、もし、小字日隅宮が国譲り以前の宮の名称でもあるのならば、現在の大己貴神社が鎮座している場所も含めて検討する必要があるでしょう。

このように考えてくると、飯塚市に存在する、桂川の「出雲」交差点までもが俄かに信憑性を以て再考すべきではないかと思うのです。


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本当にようやくですが、青森~東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は現在二本立てブログで日量11001200件(年間45万件 来年は50万件だ!)のアクセスがありますが、恐らくグループ全体では最低でも年間200300万件のアクセスはあるでしょう。


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