236 日之影町見立渓谷から山上楽園へ ④ 大菅集落の大菅神社
20150815
久留米地名研究会 古川 清久
大菅神社
吐の内の上に大菅という集落があり大菅小学校があることは知っていました。その集落名からも、菅原系の神社があり、それを奉祭する氏族があるだろうことはある程度想像していました。
しかし、吐の内橋を渡り登り切った交差点のすぐ上にその神社が鎮座しているとまでは思いもしませんでした。
神社の境内には由緒書もなく良く手入れされた境内に掃除の行き届いた社殿があっただけです。
このような場合には墓に行きどのような姓の家がありどのような家紋を使用しているかといった事を見て回り、寺があるのならばその寺がどのような宗派であるかといった事を見るのですが、今の段階では日之影、高千穂全域の神社を見る事が優先されます。
ただ、正直なところ大菅神社、菅原神社、老松神社、天満宮、天神神社、埴安神社…の区別が未だに着いていないのです。
菅神社、須賀神社…がスサノウを主祭神としていることは承知しているのですが、大菅が何かは不明です。
神紋の梅鉢からは普通の天満宮以上のものとは思えません。
百嶋先生からは、“菅公はスサノウの系統と豊玉彦の系統の両方の血筋を受け継いでおられましたが、逆賊のスサノウ(その一流のナガスネヒコ)ではなくヤタガラスの系統である事を表に出しておいででした。”と言った趣旨の話をされていました。
まず、全国に数多くの天満宮とか天神様といったものがあることは皆さんご存知のとおりです。
また、道真が亡くなったとされた後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、藤原清貫などが死んだことから、道真の祟りとして多くの天満宮が創られたとも言われます。
その際に新たに創られた神社もあるはずですが、全ての天満宮、天神様が始めから道真を祀っていたとは到底思えないのです。
問題は、大菅神社、菅原神社、老松神社、天満宮、天神神社、埴安神社…が各々どちらの氏族(民族)を反映しているのかが分からないのです。
恐らく、百嶋先生はお分かりだったと思うのですが、まだ、文字資料などで確認する事ができないでいます。
ただ、スサノウ→ナガスネヒコの系統(アーリア系)とヤタガラスの系統(ヘブライ系白族)には各々の異なる特徴があるはずで、知見の絶対量を高める事によってある程度の推定は可能になるのではないかとも考えています。
この問題意識を持ったフィールド・ワークはまだ端緒に着いただけで、今後の課題です。
少なくともスサノウは新羅の王子様ですから、伽耶の古霊にいた高木大神とは関係無しとしないことから、高木大神の領域であった時代の痕跡の可能性もあるのかも知れません。このような話は荒唐無稽な事と一蹴されてしまいそうですが、日本最古の姓との説もある興呂木(コオロロギ)姓が高千穂にあるのもその痕跡かも知れないのです。